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ハンス・ケルゼン、「民主制の擁護」(1932年) [憲法改悪阻止]

ふとん専用本で読んでいましたハンス・ケルゼンの民主主義の本質と価値 他一篇 (岩波文庫) の他一篇にあたるのが、「民主制の擁護」で比較的短いので、タイピングいただいてるページからコピーさせていただきました。
書かれた時期がナチスがワイマール憲法を無力化してきたころで、今の日本に非常に参考になります。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/9399/newpage26.htm

ハンス・ケルゼン、「民主制の擁護」(1932年)


  一

 第一次世界大戦の酷烈な戦時下において、恐怖の現状に耐うべき心の支えを求めて未来に心を託そうとしたとき、よりよき政治的未来に期待をかけようとしたとき、念頭に浮かんだものがまさに民主制の実現であった。大戦が敗北をもって終結した際に、大多数のドイツ人は一致して民主的共和国という政体を選んだ。この確信の記念碑がワイマール憲法である。

 この憲法は、歴史上最も自由な憲法であるとされた。そしてそれは正しい。蓋しそれは世界中で最も民主的な憲法だからである。国民にこれ程多くの権利を与えている憲法は例をみない。その第一条は「全権力は国民に発する」と謳っているが、全内容がこれ程この原則に適合している憲法は他にない。ニーチェは国家を「新たな偶像」「最も冷血な冷血の怪獣」とよび、この国家に「我は国民なり」と叫ばせており、この言葉は他の場合にもあてはまるかも知れないが、この憲法においても嘘ではない。なぜならドイツ国家は実際にドイツ国民になったからである。

 ところが、あのワイマールにおける歴史的憲法制定から僅々一〇年を経たばかりの現在、国民から疎外されることかくの如く甚だしい憲法、多くの国民よりかくまでに冷淡無関心に接せられ、更に多くの国民よりかくまで甚だしき憎悪と侮蔑をもって迎えられている憲法はない。これあたかも、ドイツ人はかつて自らに与えた自由をもはや欲しなくなったかのようだ。

 かつて照りかがやいていた自由の理念の光が消えうせようとしているのはドイツ国民においてのみではない。民主制の理念は色褪せ、この現代の暗き地平に新たな星が昇りはじめた。この星の血腥い光が大衆を照らす時、彼等は跪坐してこれをおろがむ。この星とは、独裁の星である。民主制は、この独裁を旗幟に掲げた二つの勢力の攻撃の前に、二正面作戦を強いられている。即ちいよいよ拡大し、いよいよ広範な労働者層を把握しつつある極左のボルシェヴィズムの、そして極右のファシズム、あるいはドイツでのナチスの。ナチ党はドイツで他の政治組織に例をみない勢いで拡大しており、現在すでにブルジョアジーの大部分を掌握してしまった。この両反民主主義運動の志向する目標は何か。プロレタリア独裁は、この独裁のもたらすべき経済政策・文化政策上の帰結が明瞭であるのに対し、他方のファシズム、少なくともドイツのファシズムに関しては、明瞭なのは、民族主義と社会主義の奇異で矛盾にみちた混淆物たるイデオロギーのみで、そのイデオロギーの背後に樹立さるべき現実の独裁がどのようなものであるかといえば、今の所それは形式にすぎず、その指導者たちでさえその形式をみたすべき内容については確固たる観念を全然もっていないようにみえる。この独裁の形式の苛酷さが唱導されればされる程、それが結局いかなる利益のために行使されるのかはいよいよ不明瞭となる。誰がこの闘争において勝利を占めるか、その勝利は一時的なものか永続的なものかはわからない。ただ一つはっきりしていることは、右翼が勝とうと左翼が勝とうと、勝利の軍旗は民主制の墓所の上に立てられるであろうということである。

 この現実的社会勢力としての政治集団間の闘争に対応して、精神の闘争も展開されている。社会理論の領域、実はこの領域の大部分を占めているのは政治的イデオロギーなのであるが、この領域において、民主制の価値への評価は過去一〇年間に驚くべき急変を示した。民主制に長所を見出そうとする理論家の数はいよいよ先細りとなった。そればかりか民主制の本質を客観的に認識しようとする者の数も一層著しく減少してしまった。今日公法学界・社会学界においては、民主制を侮蔑の言をもって律し去ることがほとんど常識と化し、直接間接の独裁制を新時代の曙光として迎えることがモダンなこととみなされている。この「学問上」の態度の変化は哲学戦線における変遷と手を携えている。即ち今日浅薄なものとして罵られる経験的・批判的合理主義の明晰さを捨てて、深遠なものとされる形而上学の隠微な世界、朦朧たる非合理的なものの崇拝への回帰の運動と。古来かかる特殊な雰囲気の中で諸々の形態の専制制が最も繁茂したのであった。「合理主義から形而上学へ」、これこそ現代の合言葉である。

 それ故にこそまさにこの時点において、諸々の政治的イデオロギーの蒙昧さにとらわれていない少数者が、現在このように誹謗されている民主制の真の本質と価値を反省し、人々に先に立たぬ後悔をさせないために、この擁護のために立ち上がることは、二重の意味で未曾有の緊要事である。もっともこうすることによって民主制の喪失を裂けうる見込みが大いにあるという訳ではないが。-現在の民主主義者は重症患者の診療にあたる医師のようだ。蘇生の見込みは殆どないが、それ故にこそ早急な処置を迫られているのである。-仮に民主主義救済の見込みが全くなくなったとしても、なお民主主義への帰依を表明することは全民主主義者の義務であろう。なぜなら思想への忠誠は時にその実現のチャンス如何に拘らないものであり、また思想に報いんとする意思は時にその実現可能性が葬り去られた後にも、その墓を越えて存在するものだからである。

 左右より提起されている不当な非難に対し民主制を擁護すること、これこそこのような忠誠を示し、この思想に報いる最善の途である。


  二

 「平等原則を説く民主制のもたらしたものは、形式的・政治的平等にすぎず、実質的・社会的平等ではない。それ故それは政治的民主制ではあっても社会的民主制ではない。従ってその国家はブルジャワジーの国家であってプロレタリアの国家ではなく、ブルジョワジーによるプロレタリア搾取の政治形態にすぎない」、社会主義の側からの民主制批判の最も重大なもの、否一般に民主主義批判の中で最も重大と思われるものはこう主張する。これに対して「正しき意味での民主主義の意図するところは平等よりむしろ政治的自律という意味での自由の実現にある。ドイツにおいてはそのような真の民主主義は完全に実現されており、それ以上のものを求めるのは無いものねだりだ」とか、「国家機構の民主化の進行につれて社会政策的諸原則は立法・行政に入り込み、無産階級のためのものと化して行くであろう」と答えるのは的を得ていない。むしろこれまでのところ民主制は基本的にはブルジョワ民主制の域を出でず、この政体の中で資本主義体制は維持され、社会主義は実現されていないことは率直に認めなければならない。だがどうしてそうなのか。それは民主制の責任(ある人々にとっては功績であろうが)なのか。否。社会主義が未だ実現していないことを民主制の責任に帰するのは、経済的窮乏を敗戦でなくワイマール体制の責任とする批判に劣らず近視眼的で皮相である。民主制がブルジョワ資本主義的民主制に留まっている理由は、社会主義を志向するプロレタリアがまだ国民の多数を占めていないところにある。そして多数を占めえない理由は政体如何の問題を超えたものである。しかしプロレタリアが現実に達成したこと、階級としての政治的地位、政治勢力としては少数者であり、かつドイツにおいてはそれが二政党に分かれているにも拘らず、なお国家意思の形成に対して有する強大な発言力、これらのものは、民主制、主としてブルジョワジーによって創出された民主制なしには不可能であったであろう。

 共産党は民主制を誹謗し、プロレタリアのそれへの信頼を失墜させ、彼等の内面を独裁制向きに改造しようとしているが、彼等はその際民主制こそプロレタリアの政治的向上にふさわしい政体だということを忘れているか敢て否認するものかの何れかである。このプロレタリアの向上は、ブルジョワジーが自らのためにのみ民主制をかち取ったのではない。彼等は同時に所謂第四階級に政治発展の可能性を創出し、かくてブルジョワ資本主義の経済体制に敵対する社会主義に実現にとって最も重要な前提を創出したのであった。

 しかし、少なくともこれまでの事態をみる限りでは、民主制によって社会主義プロレタリアの終局的な権力掌握が可能になるとは思われない。マルクス主義的社会主義政党が分裂している理由もまさしくそこにある。共産党と社会民主党が分かれているのも、基本的に後者が民主制を固持しているにのに対し、前者は民主制をもはや社会主義実現に適した政体ではないとして捨ててしまったことによる。マルクスやエンゲルスは、多少の動揺と曖昧さにも拘らず、なお結局プロレタリアは民主制への闘いに立ち上がるべきだと説き、過渡期のプロレタリア支配の国家を民主制の国家と考えていた。彼らがそう考えたことの理由は、所謂窮乏化理論によって、プロレタリア、しかも階級意識と社会主義的心情を有するプロレタリアが必然的に民衆の圧倒的多数を占める筈だと信じていたからである。どうもこれは思い違いであったようだ。その思い違いは、プロレタリアの広汎な層が極貧者と極富者の中間に介在しているという経済構造についての認識不足にもあるが、またプロレタリア化、ないし半プロレタリア化したブルジョワジーの陥る心理的状況に関する認識不足にもある。すなわち彼等はその心の支えを新たな階級意識の矜持に求めず、社会主義イデオロギーでなく、民族社会主義イデオロギーに求めたのである。彼等は経済上不可避のプロレタリア化を、ヒロイズムとロマンティシズムの精神態度によって心理的に補償しようとしているのである。この新たなプロレタリアも民主制に背を向ける。共産主義者は社会主義の実現を欲するが故に反民主主義者となったが、彼等[=新しいプロレタリア=ファシスト]は逆にそれを欲しないために反民主主義者となったのである。彼等の果たしている役割は、現存するブルジョワジーたる大ブルジョワジーの政治的努力の補強である。この大ブルジョワジーもまた、あらゆる阻害状況にも拘らず高潮を続ける社会主義の波に対し資本主義体制を擁護するにあたって、民主制は確乎たる障壁になりそうもないので、民主制を見捨てたのである。

 この民主制からの脱却という傾向の意味するところは、要するに民主制という政体は一党派の決定的勝利、相手党派の撲滅を目指す階級闘争にはふさわしくないことを示しているところにある。蓋し民主制とは社会平和、対立の調整、中間線における相互理解の政体だからである。ドイツ国民の統一を致命的に引き裂く恐るべき階級対立の途、血腥い革命の破局への途を避けこの対立を平和的に解決しうる途がありうるとすれば、それこそ民主制の途にほかならない。しかしこの途は平和及び平和の対価を欲しない人々、即ち妥協を欲しない人々のとらないところである。


  三

 右翼陣営は民主制を何と批判しているのか。そこに見出されるのは、多種多様で矛盾にみちた議論であるが、その最も通俗的な議論の一つは「民主制は腐敗の培養基だ」というにある。ところが実際にはこの弊害は専制制において民主制に劣らず多いのである。ただ専制制においては、国家権力に都合の悪いことは一切隠蔽するという原則が支配しているために、眼にみえないだけのことである。それに対し民主制の特質は公然性の原則であり、腐敗が眼につき易いのである。まさしくあらゆる弊害が白日のもとに曝されるからこそ、その是正が行われることが保障されるのである。この民主制腐敗培養基論に劣らず頻繁に批判として唱えられるのが、無規律、特に軍隊が腰抜けになり、外交が弱腰になるということである。これはまことに民主制の中枢神経に関する批判のようにみえるが、歴史に徴してみると根拠薄弱である。世界大戦において、外交上・軍事上民主主義諸国が示したところをみよ。

 独裁制論者が理論上民主制批判論として繰り返し唱えてきた主要な議論は「民主制の基本原理たる多数決原理は、内容上正当な団体意思の形成を全く保障えない」ということにある。「多数決により創造された秩序は、それが善いものだという保障は全ない。何故なら多数決原理は意思形成の方法にすぎず、その意思によりいかなる内容を定むべきかを示さないからである。それ故多数決ではなく、最善者の支配によるべきである」というのである。この議論はプラトン以来反民主主義論がくりかえし説いてきた定式であるが、よりよき代案を示すことはできない。この定式はその破壊力においては魅力的であるが、積極的には何ものべていない。蓋し最善者が支配すべきだいうのは理の当然である。最善者が支配すべきだとは、社会秩序が正しき最善の内容をもつべきだとの意味であろうが、それに反対する者はどこにもない。問題は「何が正か、正はどこにあるか、誰が最善者か、最善者のみが支配者となり、悪の攻撃に対し支配権を維持することが絶対的に保障されるような方法と何か」にある。反民主主義もまた、社会理論上も社会実践上も決定的なこの問いに対し何の答えも用意していない。彼等は指導者による救済を待望しているのだ。しかし、民主制においては指導者は選挙という白日公然の、コントロール可能な手続きを通じて創出されるが、専制制における指導者の創出は神秘で不明瞭な世界に隠されている。社会的奇蹟信仰が合理的方法に取って代わったのだ。神寵を享け、善を知り欲する指導者の存在は理屈抜きに前提されているのである。これでは組織の社会技術的問題は何ら解決されていず、ただずらされ、イデオロギー的に隠蔽されているにすぎない。しかし現実の独裁制において行われているところによれば、それを決するものは権力であり、最善者とは他者を屈服せしめうる者にほかならない。「最善者のみが支配権を有する」という定式の背後に潜むものはせいぜい無批判的で奇蹟信仰的な権力崇拝に他ならない。

 この最善者支配論に依拠しつつ「すべての問題、あるいは重要問題の決定は専門家に委ねるべきだ」と説かれるのが常である。これとの関連で職能制対民主制という対置が置かれる。最広義における技術的問題が多数決のみによっては解決されえないということは全く正しいが、民主制原理と専門的職能とを本質的対立物と考えることは全く正しくない。第一に、遺憾ながら多くの場合、看過されていることであるが、政治における専門家の地位は第二儀的なものだということを忘れてはならない。第一義的に問題となるのは社会的目的の設定であり、こては専門家の出る幕ではない。目的が定められてはじめて、その達成のための適当な手段の決定が問題となり、専門家の出る幕となるのである。ドイツでは専門家の過大評価が一般的であるが、これ程近視眼的なものはない。政治的理性を捨てて専門的技術的問題にすべてを委ねる態度こそ自治権喪失に至る確実な途であり、これこそいつの時代にも専制制の最も強力なイデオロギーをなすものであった。専門家を専らにもてはやす人々は、専門家間に頻繁に対立が生ずることを忘れている。技術的・自然科学的領域においてさえ対立が生じるのであるから、社会技術の領域においては猶更である。この対立に決着をつけうる者は非専門家、即ち政治家を措いてない。目的の決定、目標の設定、特に究極的社会目標の樹立の如きは専門家的考慮の埒外にあり、職能組織の如きも自ら必要な決定をなす能力をもたない。利害対立や権力問題は妥協か命令かによって民主的にあるいは専制的に解決されうるのみである。職能組織や専門家は決定機関ではなく、助言機関たりうるのみである。従って彼等は議会に対しても独裁者に対しても同様に助言を与えうる。

 確かに仮に「何が社会的正義か、善か、最善か」という問いに対し、万人に直接明証的に解答が示され、従って絶対的・客観的妥当性をもって万人を直接拘束しうるような解答が与えられうるとすれば、民主制は全然成立しえない。不可疑の正当性をもつ基準について投票し多数決に附することに何の意味があろうか。絶対善の恩恵を蒙る者は、その絶対善の権威に対し、有難く無限の服従を捧げる以外に何をなしえようか。しかし一体こういう仕方で社会秩序の最善の内容への問いに答えることが可能であろうか。そもそも人間的認識は絶対的価値に到達しうるものであろうか。人間精神は幾千年来この問いに悩みつづけたが、空しかったではないか。絶対的価値の存在を信ずる者、自己自身乃至他の何人かがこの価値を占有していると考える者、その者のみが民主制を断罪し、自己の意思を万人に強制し、実力をもってしても自己の信念を他者に押しつける権利を唱えうるのである。それに対し人間的認識の到達しうるのは相対的価値のみであることを知る者は、その価値の実現必須の法制を正当化する条件として、万人の合意ではないにせよ(そんなことは無政府状態をもたらすものだから不可能だ)、なお少なくともかかる強制秩序の適用対象をなす人々の過半数の合意を求めざるをえない。これが国家秩序の内容をなす一般意思(volonté générale)とこの秩序に服する諸個人の意思たる全員の意思(volonté de tous)の間の相違を最少にすることによって、自由を最大にしようとする民主制の原則である。

 この自由は民主制以外の政治体制において、特に独裁制においては回復不可能なまでに失われてしまう。それが社会主義的独裁であろうと、民族主義的独裁であろうと。歴史の各頁は、自律という政治的自由が失われるところでは、必然的に精神的自由が消失することを教えている。ここで精神の自由とは、学問の自由、倫理的・芸術的・宗教的信条の自由を意味する。現在反民主制の旗を振っている知識人たちは、自分の乗っている枝を鋸で挽いているのだ。彼等が求めている独裁制が現実のものとなり、彼等がそのもとで生活せざるえなくなったならば、彼等は独裁制を呪い、かつてかくも誹謗した民主制への復帰を希求するであろう。


  四

 最後に考察さるべきは、ボルシェヴィストやファシストでなく、他ならぬ民主主義者によってなされる次のような民主制批判である。

 「民主制はその敵よりの攻撃に対し最も脆弱な政体である。民主制はその最悪の敵さえもその乳房で養わざるをえないという悲劇的宿命を負っている。民主制が自己に忠実であろうとすれば、民主制絶滅運動をも容認し、それに他の政治的立場と同様の発展可能性を保障せざるをえない。かくて民主制は最も民主的な方法で廃棄されるという奇妙な場景に直面する。国民が、最大の邪悪は自己の権利だと信じ込まされて、かつて自らに与えた権利の剥奪を要求するという場面に。この場景を眼にするとき、我々はかのルソーの悲観的な言葉に思いあたるであろう。即ち『このように完全な国家は人間には立派すぎる。神々の国のみが民主的統治を永続させうるであろう』という言葉に。」

 こうなると「その際民主制の理論的擁護を止めるべきか。民主制はもはやそれを欲しない民衆の反抗に抗し、まさしく民主制破壊の意思において結集した多数者に抗しても擁護さるべきなのか」という問いも生じてこよう。こういう問題設定自体が否と答えることと同じである。多数の意思に抗し暴力にさえ訴えて主張される民主主義はもはや民主主義ではない。民衆の支配が民衆の反対に抗して存立しうる筈がないし、そのようなことは試みるべきでもない。民主主義者は身を忌むべき矛盾に身を委ね、民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠実を守るべきである。自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほどやがて一層の情熱をもって再生するであろうという希望のみを胸に抱きつつ、海底に沈み行くのである。

(長尾龍一訳、『ハンス・ケルゼン』、東京大学出版会、UP選書、1974年、所収、pp. 246-255より全文を転載)

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ryu-ron

長文をそのままですんません。最後の

「民主制はその敵よりの攻撃に対し最も脆弱な政体である。民主制はその最悪の敵さえもその乳房で養わざるをえないという悲劇的宿命を負っている。民主制が自己に忠実であろうとすれば、民主制絶滅運動をも容認し、それに他の政治的立場と同様の発展可能性を保障せざるをえない。かくて民主制は最も民主的な方法で廃棄されるという奇妙な場景に直面する。国民が、最大の邪悪は自己の権利だと信じ込まされて、かつて自らに与えた権利の剥奪を要求するという場面に。この場景を眼にするとき、我々はかのルソーの悲観的な言葉に思いあたるであろう。即ち『このように完全な国家は人間には立派すぎる。神々の国のみが民主的統治を永続させうるであろう』という言葉に。」

このあたりは日本会議や橋の下あたりがいいそうなことです。

民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠実を守るべきである。自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほどやがて一層の情熱をもって再生するであろうという希望のみを胸に抱きつつ、海底に沈み行くのである。

ここは名言ですね。海底に沈んでしまうわけにはいきませんが、地をはいずりまわってでも絶対に独裁は認めず、民主主義を擁護していかねばなりません。
by ryu-ron (2016-08-03 09:40) 

ryu-ron

やっぱり稲田を防衛大臣にしましたね。もろに出して来た。

https://www.youtube.com/watch?v=LAY2jsefbZA

これは生長の家の分派 28分から45分あたりまで稲田が話してます。
じつはまだ聞いてないのだが、第6回東京靖国一日見真会というから例の日本会議5人組側の谷口正春研究会のほうのようだね。
by ryu-ron (2016-08-04 07:33) 

ryu-ron

こっちの団体の主催ですねえ。
http://manabukai.org/report/category_02/category_02_2013.html

衛藤せいいちの方はもっと前からやってるから筋金入りだが、司法試験の勉強で生長の家の本を読んで、なにやら無限力が開花したとか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%9C%8B%E7%BE%8E

選挙は郵政選挙の刺客で出たんだね。まあとにかく小池を遥かに上回る右翼であることには変わりはない。
by ryu-ron (2016-08-04 07:58) 

ryu-ron

ウィキペディアによると、思想的には生長の家というより、「正論」とか産経新聞を旦那が愛読していたことの影響が多そうな感じですね。

その頃夫が『産経新聞』と『正論』を読んでいたので稲田も読むようになり、やがて「いまの教育はおかしいんじゃないでしょうか」などといった投稿をたびたびするようになった。その後弁護士の高池勝彦から電話で「南京事件についていっしょに裁判をやらないか」と声をかけられる。本人はその当時の心境を「東京日日新聞、現在の毎日新聞が戦意高揚で書いた〔南京事件の際の「百人斬り競争」の〕嘘の記事が唯一の証拠になって、戦後の南京の軍事裁判のBC級戦犯として〔競争をしたと書かれた野田毅少尉と向井両少尉の〕2人が処刑された。まったく嘘のことが、日本の名誉を傷つけるようなことが教科書でも教えられているし、本当のこととして流布されているという現状を私は日本人として放置できないと思ったんです」[1]と述べている。

ただ、初代谷口正春の話を直接聞いたような層は、正論とかは愛読書で、まず疑問を持つことがない。ニッキョーソ反対、まあ短絡的な思考回路の者が多いね。
by ryu-ron (2016-08-04 09:52) 

ryu-ron

あれま菅野完さんもこの動画を評価していたわ。
https://twitter.com/noiehoie/status/648109192746668032

マニア向けの情報として申し添えますと、ここで稲田朋美せんせーが振りかざしておられる「生命の実相」は見るからに頭注版じゃないですよね。これいわゆる「黒革表紙版」と呼ばれる戦前のやつです。黒革表紙版を典拠にするって、ガチのガチです。
by ryu-ron (2016-08-04 10:40) 

ryu-ron

またモモチか。
https://twitter.com/noiehoie/status/760253917665951744

すでに百地章が「生前退位は認められない!!」と息巻いているように、日本会議は
陛下のご声明がどのようなものであれ、「皇室典範改正反対」を言う。
しかし連中、平成21年に「天皇陛下のご意思を踏みにじる小沢一郎は不敬だ!」って運動やってたんだけど、自分たちの矛盾に気付かんのかねぇ?

とにかく生前退位で、女系天皇論議が蒸し返すことを恐れているのです。あの5人組。
by ryu-ron (2016-08-04 11:33) 

ryu-ron

知事側から出てくる改憲論議
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/politics/politics/1-0300551.html

参院選合区「違和感」 知事「改憲議論大いに」

08/04 08:00




 高橋はるみ知事は3日の記者会見で、全国知事会が7月末に採択した参院選挙区の合区解消を求める決議が憲法改正に言及したことに関連し「憲法制定後の環境変化を考えると現状に即さない部分は大いに議論していい」と述べ、改憲論議に前向きな姿勢を示した。

 知事は参院選の合区について、社会保障などの各種政策が都道府県単位で進められている現状を挙げて「行政のトップの立場からするとやや違和感がある」と指摘した。

 憲法改正に関しては「平和主義、基本的人権の尊重などの基本理念は絶対に守らなければならない」と前置きした上で、「議論すら封じるのは世の中の流れに合わない」と述べた。


このあたりをお試しでやろうとするのか?いずれにせよ慎重に進めないと、どさくさで緊急事態条項をせり込んでくる。
by ryu-ron (2016-08-04 12:24) 

ryu-ron

たまに本文を取り上げねば

右翼陣営は民主制を何と批判しているのか。そこに見出されるのは、多種多様で矛盾にみちた議論であるが、その最も通俗的な議論の一つは「民主制は腐敗の培養基だ」というにある。ところが実際にはこの弊害は専制制において民主制に劣らず多いのである。ただ専制制においては、国家権力に都合の悪いことは一切隠蔽するという原則が支配しているために、眼にみえないだけのことである。それに対し民主制の特質は公然性の原則であり、腐敗が眼につき易いのである。まさしくあらゆる弊害が白日のもとに曝されるからこそ、その是正が行われることが保障されるのである。この民主制腐敗培養基論に劣らず頻繁に批判として唱えられるのが、無規律、特に軍隊が腰抜けになり、外交が弱腰になるということである。これはまことに民主制の中枢神経に関する批判のようにみえるが、歴史に徴してみると根拠薄弱である。世界大戦において、外交上・軍事上民主主義諸国が示したところをみよ。

国家権力に都合の悪いことは一切隠蔽するという原則が支配しているために、眼にみえないだけのことである。

このあたりはアベ内閣はすでに専制政治だね。

無規律、特に軍隊が腰抜けになり、外交が弱腰になるということである。

この辺は稲田が声を大にしていいそうなことだ。

ケルゼン 先見の明がありすぎだ。
by ryu-ron (2016-08-04 13:19) 

ryu-ron

今回のオリンピックはなんにも見る気がしなくて、ニュースで結果を知ればいいぐらいか。
日本男子の100mで9秒台が出るか、リレーがメダルをとるか、が興味がある程度。

ま とにかく仕事に励みます。
by ryu-ron (2016-08-06 10:29) 

ryu-ron

稲田と生長の家 ここに詳しいものがあった。
http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html

戦争に対する

戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令に帰一するのである。肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。

ついていけますか?いかれているとしか思えない。
自衛隊員にもこれを求めて、南スーダンで戦死させようとする。
by ryu-ron (2016-08-06 10:38) 

ryu-ron

土曜日に実家の畑の木の伐採なんぞをしまいあたら、昨日の朝から腕にかぶれができて、今日、かかりつけのお医者さんにかかったら、毛虫のアレルギーとのこと。

今までこんなひどいのはなかったし、長袖を着て気をつけてるつもりでしたが、やっぱり時間が長いといろいろあるもんですね。

飲み薬が眠くなるのでちときつい。当分 コメント自粛します。
by ryu-ron (2016-08-08 12:36) 

ryu-ron

どなたかこちらに
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2016-01-18
コメントつけていただいているのですが、お相手できずにすみません。

ほんとこの薬は眠くなります。朝夕二回なのですが、夜寝る前に飲んでも4時半くらいに痒くなるので、まだ朝も飲まないと不安です。
しかし、眠くて仕事にならない。痒い方がまだましなのか。

さて、天皇生前退位ですが、NHKは7時のニュースノーカットで流しましたね。
崩御、新天皇即位の華美になること、まあ平たく言えば金と時間がかかりすぎることにも言及しました。
日本会議はどうでるのか?
by ryu-ron (2016-08-09 07:59) 

ryu-ron

いろいろ忙しいといいながら新記事をアップしましたが、元々用意していたものにちょいと手を加えただけでした。

一応 頭がしゃんとしてきたので、ちょっと書いております。

昨日 皇居で泣いていた青年(といっても40前後の人)が、日本会議の研究の菅野さんかと思いましたが、新規のツイッターはなにも出てませんでした。

日本会議から見たら皇位継承 とりわけ大嘗祭は譲れんところでしょう。
しかし現行の税法では、生前退位だと、祭具の贈与と看做され、莫大な贈与税がかかるとか?

細かい問題はごちゃごちゃあるが、あの手この手で生前退位ではなく摂政で、という線で署名集めをするのかもしれない。

と、退位問題は、あれこれが落ちついたら考えます。

あ それからコメントいただいた臨界質量の件もいずれそのうちと。
http://www.rist.or.jp/atomica/dic/dic_detail.php?Dic_Key=719



臨界質量
臨界質量 りんかいしつりょう

 核分裂性物質は、ある量以上を集めると自然に核分裂連鎖反応を起こす。この連鎖反応に必要な最小質量を臨界質量という。臨界質量は、核分裂性物質自身の核特性、形状、組織とその周囲の物体の形状、密度、組成等及び両者の幾何学的位置関係によって異なる。周囲に中性子を減速又は反射させる物体がない場合には、球形が最も少ない質量で臨界に達する。U-235球形金属で約20kg、Pu-239球形金属で約5kgである。

このあたりは理解できてるのですけどね。
by ryu-ron (2016-08-09 09:28) 

ryu-ron

退位問題 いったん締めるには中途半端だったので、コバセツ先生と対談した竹田さんにお出まし願いましょう。
https://twitter.com/takenoma?lang=ja

https://twitter.com/takenoma/status/762591288524890112?lang=ja

陛下が摂政設置に慎重でいらっしゃることが分かった。確かに典範には摂政の規定があるが、大正天皇・昭和天皇の事例等から難しい問題もある。やはりここは陛下のお気持ちを忖度し譲位なされるように整備を進めていくべき。だが歴史的には譲位にも問題がある。制度にするのではなく特措法で対応すべき。

この線におちつくのか?皇室典範改正でパブコメやることもないのでしょう。

通常パブコメは政令、省令の場合ですからね。

ということで、これにてここは打ち切りします。
by ryu-ron (2016-08-09 10:07) 

ryu-ron

ちと調べましたが、コメントいただいた方にはわかりのくいところに書いておきましょう。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1250321332

ベストアンサーの方

ウラン235の最小臨界量は金属で22.8kg、プルトニウム239の最小臨界量は金属で5.6kgです。
水溶液中では水が中性子の減速材になるので核分裂を起こしやすく、
最小臨界量はウラン235が820gに対してプルトニウム239は510gです。

820gとなるとほんの少しとは言えませんが、原爆とは違いますので、3号爆発の規模で考えないといけません。
by ryu-ron (2016-08-12 17:08) 

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