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10号台風がフクイチを襲う [原発問題]

植草さんあたりもこういうことを書いてますので今のうちに。

台風10号とフクシマ原発
http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/10-6439.html


「状況はコントロールできている。
汚染水の影響は福島第一原発の港湾内の0.3平方キロメートルの範囲内で完全にブロックされている」
これは、安倍晋三氏が2013年9月の五輪招致最終プレゼンで発した言葉だ。
この発言に対して、
「もし完全にブロックして外に出ないのならば、港湾内の水位は上昇していくはず。
コップに水を入れ続けると一杯になるのと同じことです。
しかし、現状はそうなっていない。
港湾内と外の水位が同じなのです。
つまり、港湾内の汚染された水は外に流れ出ているということになります」
とする環境水理学に詳しい平田健正・和歌山大学理事の反論もネット上で紹介されている。


今回は場合によっては直撃コースをとるため、高潮などの被害も考えられます。かなりな強風でタンクが横転する可能性もあります。

そして、福島の汚染水。
東京電力は8月22日に福島県を通過した台風9号による降雨の影響で、福島第1原発構内の「K排水路」を流れる水から、暫定の警報設定値(1リットル当たり1500ベクレル)を超す2300ベクレルの放射性物質を検出したと発表した。
さらに、汚染水を遮断するとして350億円の国費が投入されて建設された「凍土壁」が原発敷地内に流れ込む地下水を遮断する効果を持たないことが明らかにされた。


9号の時に警報設定値越えをやってしまってます。今度はどのくらい漏れだすのか?
作業員の皆さんは、身の安全のために早目に退避して、責任は、東電と政府に押し付けましょう。
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東京オリンピックでリオの成績を越えられるか?(2)-東京、埋もれた内部被ばくを示唆するデータ  [原発問題・ホットパーティクル]

この記事は気がついていなかったのですが、東京での初期被ばくを考える意味で貴重ですので、前回の続編の形で紹介させていただきます。

東京、埋もれた内部被ばくを示唆するデータ 放射線量と放射性物質濃度が一時ピークに
http://biz-journal.jp/2014/07/post_5304.html

記事の日付けがわからないのですが、2014/07/というところから、2年前の7月のものと思われます。
京都精華大学の山田國廣名誉教授(環境学)による発表です。

2011年3月15日午前10時 「その時間帯に屋内、屋外のどちらにいたかで内部被ばくの影響がまったく違うだろう」

 セシウムボールを9割含む放射能雲(プルーム)が東京を襲ったのもほぼ同時刻でしょうし、ここにもありますように小出先生の証言と一致します。
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/287.html
「当時、京大の助教だった小出先生は3月18日のセミナーで調査結果を明らかにした。検出したのはヨウ素、テルル、セシウムなどの放射能。福島から飛んできたそれらの放射能が東京の空気中に1平方メートルあたり数百ベクレルあった。
 チェルノブイリから東京に飛来した放射能と比較すると、約1000倍の濃度だった。『それを東京の皆さんは呼吸で吸い込んでいた』。内部被曝に換算すると1時間で20マイクロシーベルトほどの被曝量だった、という。」

山田國廣名誉教授は、埋もれていたデータから、さらに日時を絞り込んでいきます。

「それによれば、福島第一原発1、3号機の爆発を経て2号機も状態が悪化していた15日は、午前3時台にヨウ素、テルル、セシウムなどの放射性物質を12核種、大気1立方メートル当たり計41.6ベクレル検出。数値は午前7時台から急上昇して9時台に261.2ベクレル、10時台にピークの1205ベクレルに達した。
 このとき最も多かった放射性核種はテルル132で390ベクレル、次いでヨウ素132の280ベクレルだった。」

「山田名誉教授は『初期被ばくといえばヨウ素131(半減期約8日)とお決まりのように言われていたが、それ以前にテルル132、ヨウ素132にも注目しなければならず、実際に東京の大気中にあったのはその両者が大半だということがわかった。これは非常に重大な事実だ』と指摘する。」

 study2007さんも論文で指摘していたように、テルル132、ヨウ素132の初期被ばく問題は重要でした。これは東京でも言えることだと言うのが、山田名誉教授の証言からもわかります。

こちらは岩波・科学に掲載されたstudy2007さん作成による表です。
体表面汚染スクリーニングが示す.png
ヨウ素132の方が131よりはるかにβ線のエネルギーが強いことがわかります。

post_5304_20140703.jpg
(グラフの画像が小さめですが、DLして拡大してご覧ください。)

 以下にグラフの説明があります。
http://biz-journal.jp/2014/07/post_5304_2.html

「山田名誉教授は産技研のPDFから1つ1つの数字を表計算ソフトに移してグラフ化。これに健康安全研究センターが同期間に測定した1時間ごとの放射線量データを重ね合わせるなどして細かく分析した。そこから、放射線量と放射性核種濃度のピークがほぼ一致し、15日10時前後の6時間ほどに集中していることがわかった。」

アスリートのみならず、この時間帯に野外に出ていた皆さんは、ほんとに要注意です。

「まず、東京都民はあの3月15日午前10時ごろにどこにいたかを思い出してほしい。原発20キロ圏内では『逃げる避難』しか想定されていなかったため、避難中や避難先でも屋外にいて初期内部被ばくを受けた。避難の目的を『逃げる避難』から『初期被ばく防止』に切り替え、線量の上昇を察知したら数時間後に大量の放射能が浮遊、降下してくると想定して住民を適切に待機させるような避難計画を立てるべきだ」

 おそらく伊方も川内もこのようなことを考慮した避難計画など頭になかったことでしょう。とにかく止めて、避難計画の見直しをやるべきです。なんとしてでも三反園知事には頑張ってもらわなければなりません。

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東京オリンピックでリオの成績を越えられるか? [原発問題・ホットパーティクル]

今日はリオオリンピック陸上400mリレーで銀メダルを取ると言う快挙を成し遂げた日。めでたいと素直に思えばいいのだが、4年後の東京に一抹の不安をおぼえています。

アンカーをつとめたケンブリッジ飛鳥は、東京高校出身。位置を見てみると
http://www.tokyo-hs.ac.jp/
東京都大田区鵜の木2丁目39−1


多摩川ぞいでしたね。まあ都内葛飾区にセシウムボールが多かったと記憶はしてるのですが、この多摩川 上流にエコセメント工場があって、セシウムそのものの濃度が極めて濃いです。

木下黄太さんのブログの事故の年の5月の記事を見てみると

http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/945898fc22160543b404a9ca949cefe5

2011-05-29 17:29:02 ですが

「さらに、神奈川から聞こえてきた話は、中学生の野球チームが三月の二十三日に半数が吐き気と下痢、鼻血を突然出して、動けなくなった事。食中毒でなく原因がよくわからない話になっていて、その後子どもの体の切れが悪く、大幅に調子が落ち続けている事。」

位置的には多摩川沿いの川崎との境あたりを言っているのか?ケンブリッジは原発事故時はすでに高校は卒業してたのか。まあ大学は日大ですから、東京で野外で走りまくっていたことには違いない。

山県は慶応、桐生は高校こそ関西ですが、大学は東洋大学、飯塚は中央大学 いずれも首都圏ですね。
サニブラウンも4年後には延びてくるでしょうが、これまた東京の城西高校。

陸上だけでも有望選手が首都圏で無防備にトレーニングを続けている。文部科学省がとんと意識してませんから、選手の強化策に放射線被曝の影響なんぞこれっぽっちも考えていない。

もう一度 事故当時、東京を襲った放射能プルームにあったセシウムのほぼ9割がセシウムボールであったことを思い起こしていただきたい。

なんと大事な情報を見逃すところでした。セシウム89%はガラス粒子
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2016-06-30

陸上競技に限らず、事故当時あるいは、事故後に首都圏の高校、大学でトレーニングを積んできたアスリートの健康状態をちゃんと調査して、健康対策に気をつけないと、今回のリオの成績を越えるどころか、悲惨なことが待ちうけているかもしれません。

そんなことはないと思いたいところだが。
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伊方3号再稼働を瓜生島伝説が止める!!(再掲) [伊方再稼働反対]

伊方再稼働の後 経産大臣のこんなこと

伊方原発の使用済みMOX処理方法「検討」 世耕経産相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160816-10408101-ehime-l38

や、よんでん社長のこんなこと

伊方3号「60年運転念頭」 延長目指す意向
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160816-10407901-ehime-l38

で 調子に乗りすぎてるので、またぞろ手抜きですんませんが、前に書いた記事の再掲を使って抗議をしたいと思います。

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 今回伊方原発のパブコメ意見はゆっくり書くのですが、予習の意味も兼ねて、地震に絞って情報収集を心がけていこうと思っています。

 瓜生島伝説で、慶長豊後地震ばかりを意識していたのですが、これが中央構造線がらみの 慶長伊予地震 慶長伏見地震と連続した地震であったことを知りました。
こちらでまとめていただいています。
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-2582.html


 規制委員を辞めさせられた島崎さんが関わった論文もみつかりまして、これは慶長豊後地震に関するもので、「1596 年慶長豊後地震に伴う津波の波源推定」というものです。
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_20/22-Ishibe.pdf
 中身はちと難しく、おってぼちぼち紹介します。後から図を引用しますが、Uryujimaが出てきますね。

 こちらは震災時によくテレビに出ていた先生の講演の模様のツイッターです。
http://togetter.com/li/346827
20120729 #IWJ_EHIME1 都司嘉宣講演会「伊方原発に巨大地震と大津波の脅威」愛媛県松山

都司氏「愛媛県沖の海底構造。古いほど断層の落差が大きく、窪みが大きくなっている。アカホヤ火山灰は、6300年前に平らな海底であったことを示す。その間に複数回の地震で8mの段差を生じた」( #IWJ_EHIME1 live at http://t.co/VngKy5Lp)

 アカホヤ火山灰が、島崎元委員の論文にも出てきます。どこを引用しようか迷ったけど、あちこちあったのでやめました。謝辞のところに岡村教授と出てきましたが、これまたツイッターで講演の記録が出てきました。

岡村眞・高知大学特任教授講演会『巨大地震最新情報と伊方原発』(2012年6月9日@高知県立大)
http://togetter.com/li/326272?page=3

岡村教授104 しかし、四国電力は原発3基造るまでは「1万年間は動いていない」ということで、伊方に原発を造った。こんな、本当にすごいところ。みんなこれを見たら、外国の研究者たちは「なんだ、これは?!」って言いますから。

この話はとっても大事ですね。

また、都司嘉宣準教授の名前が出てくる次の文書
http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/YOTIKYO/15seikahoukoku/eri1/0122/r0122.15.htm

b)中央構造線、および糸静線に沿って起きた歴史地震研究

中央構造線、糸静線は、ともに日本列島の骨格を特徴づける顕著な構造線である。ところが、この両構造線に起きた歴史上の地震に関してはこれまで曖昧な知識しかなかった。しかし本研究の慶長元年(1596)伊予地震(9月1日夜)の詳細を明らかにした成果によって、慶長元年閏九月1日の別府湾瓜生島地震、その4日後の5日に起きた伏見桃山地震(被害域は兵庫須磨、和歌山、淡路島、香川県讃岐一宮におよぶ)の間に起きていて、このわずか正味4日間の間に起きた3個の地震の被害域がほぼ中央構造線の和歌山県・大分県の間をすきまなく埋めていることが明らかとなった。すなわち、中央構造線の活動による歴史地震はあったことが明らかとなったのである。糸静線は将来、大きな地震が起きることが予測されている顕著な断層系である。しかし、歴史上にはこの断層系の活動による顕著な地震は知られていなかった。しかし、中規模な地震なら歴史上に存在した。正徳4年(1718)小谷地震と、安政5年(1858)大町地震、および大正大町地震(1918)である。本研究ではこのような顕著活断層のごく近傍に生じた歴史地震の実像を明らかにした。そして糸静線付近では、顕著地震ではなくても中規模の被害を生ずる地震をややひんぱんに発生させる潜在能力があることを明らかにした。

やはりあの3連続地震は学術的に研究されているのは間違いなさそうです。
ところが、
慶長伊予地震
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%BC%8A%E4%BA%88%E5%9C%B0%E9%9C%87
に出てくる次の3か所はリンク切れだったりで表示されません。

1. 堤浩之、岡田篤正、後藤秀昭、松木宏彰 - 活断層研究, 2000 中央構造線活断層帯川上断層の完新世後期における活動履歴 (PDF) 活断層研究会
2. 徳島県の中央構造線は大地震を伴って動いて来たか(2) (PDF)
3. セグメント区分と想定地震規模 (PDF) 愛媛県資料

 極めて科学的に分析した文書のようですから、早く所在を明らかにしてもらいたいものです。何か都合の悪いことでもあったのですかね?

 それと5000人避難の件でコメントに書いたトンネルや橋の件 過去話はあったのですが、大分県知事は乗る気なしでとん挫してます。

豊後伊予連絡道路
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%BE%8C%E4%BC%8A%E4%BA%88%E9%80%A3%E7%B5%A1%E9%81%93%E8%B7%AF

しかし、国や地方の厳しい財政状況等のため、実現の目途は立っていない。大分県の広瀬勝貞知事は、就任直後の2003年(平成15年)4月に、近い将来の実現は厳しいとして、豊予海峡ルートの事業見直しを明言し、事実上の凍結を表明している[2]。
これを受けて、現在は、地震観測及び風観測のみが行われている[3]。

 これも中央構造線がらみで、トンネルにせよ橋にしても莫大な費用がかかるからもあるのでしょうが、フェリーで十分という考えもあるのでしょうね。

 それで検索にかかった次の文書。これといった特徴はありませんが、見る人が見たら気がつくことがあるかもしれないので載せておきます。

佐賀関地域の地質
https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_14077_1994_D.pdf

1 . 3 海岸地形
本図幅地峡の海岸線は,別府湾岸で佐賀関断防の影響を受付て直線的であるのに対L.,臼杵湾岸では対照的にやや複雑な海岸線を示す 別府湾岸の大分市機崎以西では海岸平野が開付,海岸には浜製が迎続するが,神崎以東には三波川変成岩類が海岸に館出し,日さ 10-20mの海食崖が連続する.館上には海伴段圧が認められる .一方,臼杵湾岸の海岸線には海岸段丘が分布せず,山地斜面が直接海に接しており,観雑な海岸線を示す このことは,臼判湾岸が別府湾I告に比べ沈降傾向にあることを示唆するもの
である .

1 . 4 変動地形
佐泊。闘半島の北岸の海岸線は,四国北西部から連続するよ うに直線状の海岸が続き ,中央構造線に関係する断問活動の影響を受付ているものと考えられる.

OCRにつき誤字のままですみませんが。

「1596 年慶長豊後地震に伴う津波の波源推定」に出てきた図です。
瓜生島.png

順序が前後しましたが、ウィキペディアの瓜生島の解説です。

瓜生島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%9C%E7%94%9F%E5%B3%B6

瓜生島という名称が最初に使われたと言われるのが、1699年の戸倉貞則『豊府聞書』(現存せず[要出典])である。同書及びその写本または異本とされる『豊府紀聞』によれば、瓜生島は1596年9月4日(文禄5年閏7月12日)の地震(慶長豊後地震)によって沈んだとされている。この地震については、ルイス・フロイスが、「九州にある太閤の海港が地震によって被害を受けた」と言及している。この地震は実際に起きたものである事が現在迄の研究で判明しており、震源地は別府湾南東部で、マグニチュード7.0程度の地震が起きたものと推測されている。

 これはもう立派に科学であって伝説ではありませんね。慶長伊予地震の方は震源地を探るなどの研究成果が表に出てきませんね。極めて不自然。愛媛県やちゅうでんが出すなと圧力かけてるのでしょうか?
 最初の伊方原発訴訟は、原子炉設置許可処分の取り消しを内閣総理大臣に求める行政訴訟でした。第一審で原告側はかなり、追い込んで優位に進めていたのに、結審後の裁判官の差し替えなど、政府は最高裁に指示をして、陰湿な妨害をして、極めて不自然な形で判決が出されました。
 この時原告団長の旗出しに書かれた文字は「辛酸入佳境」田中正三の言った言葉からとられたようですが、「何事もすべてを打ち込んで事にあたれば、苦労もかえってよろこびになる」と言う意味で、不通であれば「不当判決」と出すところ、最後は勝って喜ぶぞという決意だったのでしょうか。
 現実は、最高裁でも敗訴し、これが判例化し、樋口裁判官は、少しこじ開けてくれたのですが、鹿児島地裁の仮処分は、この判例の悪しき部分を徹底的に採用し却下してしまいました。
 今行われている訴訟や、これから出されるであろう仮処分は、まさにこの最高裁判例へのリベンジになるでしょう。南海トラフももちろん脅威なのですが、歴史上、愛媛と大分を同時に襲った中央構造線上の地震も、ガルで表すとすれば、想定の650くらいのものでなく、2000ガル近いものだったのではないかと想像できます。
 伝説ではなく歴史的事実と科学が、この悪しき最高裁判例を完膚なきまでに叩きのめすことでしょう。その日を夢見て行動を起こしていかなければならないと決心しております。
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あの時ゴジラは何をしようとしたのか?再掲 [伊方再稼働反対]

手抜きですんません。シン・ゴジラも上映中で、今日、伊方が再稼働することに対し抗議の意味で同じものをアップします。
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この小出先生のインタビューを見てゴジラを思い出しました。
http://ameblo.jp/m08068469/entry-11947512906.html

それほど、この中央構造線というのは、日本という国の中では重要な位置を占めていまして、もし、この中央構造線という活断層が動くようになれば、巨大な地震が起きるだろうと考えられています。その中央構造線のほんとにきわの所に伊方原子力発電所は建っています。

小出さん:
はい、中央構造線自身は伊方原子力発電所のすぐ近くの北側に走っているのです。南の方には南海トラフという、また巨大な断層というかプレートの境界というものがあって、そこでも南海地震、東南海地震というような巨大な地震が過去繰り返し、繰り返し起きてきたという事が分かっているのです。ですから、伊方原子力発電所は北には中央構造線、南には南海トラフがあるという、まさに地震の巣のような所に建っています。

小出さん:
3号機はプルサーマルという非常に馬鹿げたというか、安全性を犠牲にし、そして経済性もないというようなことをやろうとしているわけでして、プルサーマルというのは、プルトニウムという物質を燃料に使うということなのですが、プルトニウムというのは、人類が遭遇したうちで最大の毒物と言われてるほどの毒物でして、普通の原子力発電所で使っているウランに比べれば、何万倍、何十万倍も毒性が強いという、そういう物を燃料として使ってしまおうという計画なのです。なんとしても止めさせなければいけないと思います。

非常に分かりやすいです。
下のゴジラは、ウィキペディアにも出てますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E6%96%B9%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80
「ゴジラvsデストロイア - 劇中で登場する。豊後水道に出現したゴジラが発電所を襲おうとするも、スーパーXIIIに防がれている。英語版に画像あり。」
なんとか守ったのだけど、こんなものやめてしまえと言う警告を込めたのかな。監督は。
o0560031513117804339ゴジラ.jpg

さて、学術的なものもひとつ。

瀬戸内海の歴史南海地震津波について
http://sakuya.ed.shizuoka.ac.jp/rzisin/kaishi_19/23-Yamamoto.pdf

8ページ

その結果,今回の検討ケースの中では,1707 年宝永地震津波の波源がそのまま西側に 64km シフトして津波が発生した場合,伊方では最高 3.9m程度の津波高にもなることが推定できた。また,表 5 で得られた結果より,21 世紀前半にも高い確率で起きると言われている南海地震津波の波源域が,これまでの南海地震津波よりもさらに西側(九州側)にシフトした場合には,瀬戸内海の西部沿岸においても,過去に起きた各南海地震津波の津波高よりさらに高い津波高となることが想定される。

震災前の論文につき想定が甘いような気はしますが、それでも4mくらいの津波はありうる。
避難を考えると、西側はもっと高くなるわけで、動くに動けないか、あるいは避難中に津波に襲われる。伊方の町議会はちゃんと考えて議論をしなければ、南海トラフ地震は確率が高すぎるのだから、「事故はおきんだろう。」などという甘い想定はできないはずだ。
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南スーダンPKO、駆け付け警護実施へ [戦争法廃止]

南スーダンPKO、駆け付け警護先延ばし
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-12-07

を書いてから随分と日が経ってしまいました。最近いくらかニュースになってますが、憲法に踏み込んでいる赤旗を紹介します。

南スーダンPKOに新任務「駆け付け警護」憲法違反の武力行使
「殺し殺される」危険
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2016-08-08/2016080801_02_1.html

日本共産党の笠井亮衆院議員が国会で暴露した防衛省内部文書によれば、自衛隊員の犠牲者に加え、武装集団の「狙撃・射殺」まで想定しています。

 さらに、笠井氏が暴露した自衛隊内部文書によれば、2013年末に南スーダンで大統領派と前副大統領派との武力衝突が発生した際、PKO司令部が日本を含む各国部隊に「火網の連携」による宿営地の警備施設強化命令を下しました。しかし、自衛隊は「わが国の従来の憲法解釈において違憲とされる武力行使にあたる」として実施を拒否しています。

南スーダンでは7月にも両派の武力衝突が発生し、自衛隊宿営地にも着弾しました。今後も内戦状態が続く可能性は高く、自衛隊はみずから「違憲」とみなした活動に踏み切る危険があります。


さて小林節先生はどう考えているのか?ちょっと前のネット記事によると

http://www.magazine9.jp/taidan/003/index03.php

小林
 PKOか何かで、例えばオランダの部隊と同じエリアで仕事をする。向こうがドンパチやられたら、駆けつけ、警護していいかという話ですよね。それはPKOである以上、そもそも集団的「自衛」じゃないですよね。場面が違う。しかし、現行憲法上、駆けつけ警護なんか(他国の武力行使と一体化で)すべきじゃないし、できないと初めから通告しておけばいいだけの話でね。
 武器使用基準についてもありましたね。

H19/08/21

http://www.asyura2.com/07/senkyo41/msg/233.html

日本国は、かつての大戦を反省して、憲法九条一項で(侵略)戦争を放棄し、同二項で戦力と交戦権を自らに禁じた。その結果、政府の公式解釈として、海外で自ら武力行使をしたり他国による武力行使と一体化することを自衛隊に禁じている。唯一例外的に武器使用が許されるのは自衛隊が外敵から襲われた場合に自らを正当防衛する場合だけである。

 にもかかわらず、佐藤隊長(当時)は、自衛隊が襲われていなくても、友軍が襲われたら、そこへ駆けつけて巻き込まれて、まず自ら志願して「被害者に」なってから友軍と一緒に武力行使する…と覚悟していたそうである。

 これは、男・佐藤の武士道としては正しいかもしれないが、その結果、海外でわが国の部隊が憲法と政府の方針に反して勝手に戦争を始め(少なくとも「戦争に参加」し)てしまうことになる。それは、国際社会で、「日の丸」が他国を公式に敵に回すことである。しかし、そんな大権が派遣された自衛隊の「大隊長」(?)に与えられているはずはない。

 仮にそれが実態において不都合な内容のものであったとしても、憲法以下の法令は、それが改廃されない限り公務員にはそれを順守する義務がある。それが、法の支配、法治主義、シビリアン・コントロール(文民統制)であり、民主主義というものである。

うん やはり違憲というお考えのようですね。安心しました。ここで書いた大森元法制局長官とは違います。
南スーダンPKO-駆けつけ警護は合憲か?
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-09-29

冷酷な稲田長官が血迷って「命を捧げよ、血を流せ!」とならないよう監視しないといけません。
sho_fj.jpg
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ハンス・ケルゼン、「民主制の擁護」(1932年) [憲法改悪阻止]

ふとん専用本で読んでいましたハンス・ケルゼンの民主主義の本質と価値 他一篇 (岩波文庫) の他一篇にあたるのが、「民主制の擁護」で比較的短いので、タイピングいただいてるページからコピーさせていただきました。
書かれた時期がナチスがワイマール憲法を無力化してきたころで、今の日本に非常に参考になります。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/9399/newpage26.htm

ハンス・ケルゼン、「民主制の擁護」(1932年)


  一

 第一次世界大戦の酷烈な戦時下において、恐怖の現状に耐うべき心の支えを求めて未来に心を託そうとしたとき、よりよき政治的未来に期待をかけようとしたとき、念頭に浮かんだものがまさに民主制の実現であった。大戦が敗北をもって終結した際に、大多数のドイツ人は一致して民主的共和国という政体を選んだ。この確信の記念碑がワイマール憲法である。

 この憲法は、歴史上最も自由な憲法であるとされた。そしてそれは正しい。蓋しそれは世界中で最も民主的な憲法だからである。国民にこれ程多くの権利を与えている憲法は例をみない。その第一条は「全権力は国民に発する」と謳っているが、全内容がこれ程この原則に適合している憲法は他にない。ニーチェは国家を「新たな偶像」「最も冷血な冷血の怪獣」とよび、この国家に「我は国民なり」と叫ばせており、この言葉は他の場合にもあてはまるかも知れないが、この憲法においても嘘ではない。なぜならドイツ国家は実際にドイツ国民になったからである。

 ところが、あのワイマールにおける歴史的憲法制定から僅々一〇年を経たばかりの現在、国民から疎外されることかくの如く甚だしい憲法、多くの国民よりかくまでに冷淡無関心に接せられ、更に多くの国民よりかくまで甚だしき憎悪と侮蔑をもって迎えられている憲法はない。これあたかも、ドイツ人はかつて自らに与えた自由をもはや欲しなくなったかのようだ。

 かつて照りかがやいていた自由の理念の光が消えうせようとしているのはドイツ国民においてのみではない。民主制の理念は色褪せ、この現代の暗き地平に新たな星が昇りはじめた。この星の血腥い光が大衆を照らす時、彼等は跪坐してこれをおろがむ。この星とは、独裁の星である。民主制は、この独裁を旗幟に掲げた二つの勢力の攻撃の前に、二正面作戦を強いられている。即ちいよいよ拡大し、いよいよ広範な労働者層を把握しつつある極左のボルシェヴィズムの、そして極右のファシズム、あるいはドイツでのナチスの。ナチ党はドイツで他の政治組織に例をみない勢いで拡大しており、現在すでにブルジョアジーの大部分を掌握してしまった。この両反民主主義運動の志向する目標は何か。プロレタリア独裁は、この独裁のもたらすべき経済政策・文化政策上の帰結が明瞭であるのに対し、他方のファシズム、少なくともドイツのファシズムに関しては、明瞭なのは、民族主義と社会主義の奇異で矛盾にみちた混淆物たるイデオロギーのみで、そのイデオロギーの背後に樹立さるべき現実の独裁がどのようなものであるかといえば、今の所それは形式にすぎず、その指導者たちでさえその形式をみたすべき内容については確固たる観念を全然もっていないようにみえる。この独裁の形式の苛酷さが唱導されればされる程、それが結局いかなる利益のために行使されるのかはいよいよ不明瞭となる。誰がこの闘争において勝利を占めるか、その勝利は一時的なものか永続的なものかはわからない。ただ一つはっきりしていることは、右翼が勝とうと左翼が勝とうと、勝利の軍旗は民主制の墓所の上に立てられるであろうということである。

 この現実的社会勢力としての政治集団間の闘争に対応して、精神の闘争も展開されている。社会理論の領域、実はこの領域の大部分を占めているのは政治的イデオロギーなのであるが、この領域において、民主制の価値への評価は過去一〇年間に驚くべき急変を示した。民主制に長所を見出そうとする理論家の数はいよいよ先細りとなった。そればかりか民主制の本質を客観的に認識しようとする者の数も一層著しく減少してしまった。今日公法学界・社会学界においては、民主制を侮蔑の言をもって律し去ることがほとんど常識と化し、直接間接の独裁制を新時代の曙光として迎えることがモダンなこととみなされている。この「学問上」の態度の変化は哲学戦線における変遷と手を携えている。即ち今日浅薄なものとして罵られる経験的・批判的合理主義の明晰さを捨てて、深遠なものとされる形而上学の隠微な世界、朦朧たる非合理的なものの崇拝への回帰の運動と。古来かかる特殊な雰囲気の中で諸々の形態の専制制が最も繁茂したのであった。「合理主義から形而上学へ」、これこそ現代の合言葉である。

 それ故にこそまさにこの時点において、諸々の政治的イデオロギーの蒙昧さにとらわれていない少数者が、現在このように誹謗されている民主制の真の本質と価値を反省し、人々に先に立たぬ後悔をさせないために、この擁護のために立ち上がることは、二重の意味で未曾有の緊要事である。もっともこうすることによって民主制の喪失を裂けうる見込みが大いにあるという訳ではないが。-現在の民主主義者は重症患者の診療にあたる医師のようだ。蘇生の見込みは殆どないが、それ故にこそ早急な処置を迫られているのである。-仮に民主主義救済の見込みが全くなくなったとしても、なお民主主義への帰依を表明することは全民主主義者の義務であろう。なぜなら思想への忠誠は時にその実現のチャンス如何に拘らないものであり、また思想に報いんとする意思は時にその実現可能性が葬り去られた後にも、その墓を越えて存在するものだからである。

 左右より提起されている不当な非難に対し民主制を擁護すること、これこそこのような忠誠を示し、この思想に報いる最善の途である。


  二

 「平等原則を説く民主制のもたらしたものは、形式的・政治的平等にすぎず、実質的・社会的平等ではない。それ故それは政治的民主制ではあっても社会的民主制ではない。従ってその国家はブルジャワジーの国家であってプロレタリアの国家ではなく、ブルジョワジーによるプロレタリア搾取の政治形態にすぎない」、社会主義の側からの民主制批判の最も重大なもの、否一般に民主主義批判の中で最も重大と思われるものはこう主張する。これに対して「正しき意味での民主主義の意図するところは平等よりむしろ政治的自律という意味での自由の実現にある。ドイツにおいてはそのような真の民主主義は完全に実現されており、それ以上のものを求めるのは無いものねだりだ」とか、「国家機構の民主化の進行につれて社会政策的諸原則は立法・行政に入り込み、無産階級のためのものと化して行くであろう」と答えるのは的を得ていない。むしろこれまでのところ民主制は基本的にはブルジョワ民主制の域を出でず、この政体の中で資本主義体制は維持され、社会主義は実現されていないことは率直に認めなければならない。だがどうしてそうなのか。それは民主制の責任(ある人々にとっては功績であろうが)なのか。否。社会主義が未だ実現していないことを民主制の責任に帰するのは、経済的窮乏を敗戦でなくワイマール体制の責任とする批判に劣らず近視眼的で皮相である。民主制がブルジョワ資本主義的民主制に留まっている理由は、社会主義を志向するプロレタリアがまだ国民の多数を占めていないところにある。そして多数を占めえない理由は政体如何の問題を超えたものである。しかしプロレタリアが現実に達成したこと、階級としての政治的地位、政治勢力としては少数者であり、かつドイツにおいてはそれが二政党に分かれているにも拘らず、なお国家意思の形成に対して有する強大な発言力、これらのものは、民主制、主としてブルジョワジーによって創出された民主制なしには不可能であったであろう。

 共産党は民主制を誹謗し、プロレタリアのそれへの信頼を失墜させ、彼等の内面を独裁制向きに改造しようとしているが、彼等はその際民主制こそプロレタリアの政治的向上にふさわしい政体だということを忘れているか敢て否認するものかの何れかである。このプロレタリアの向上は、ブルジョワジーが自らのためにのみ民主制をかち取ったのではない。彼等は同時に所謂第四階級に政治発展の可能性を創出し、かくてブルジョワ資本主義の経済体制に敵対する社会主義に実現にとって最も重要な前提を創出したのであった。

 しかし、少なくともこれまでの事態をみる限りでは、民主制によって社会主義プロレタリアの終局的な権力掌握が可能になるとは思われない。マルクス主義的社会主義政党が分裂している理由もまさしくそこにある。共産党と社会民主党が分かれているのも、基本的に後者が民主制を固持しているにのに対し、前者は民主制をもはや社会主義実現に適した政体ではないとして捨ててしまったことによる。マルクスやエンゲルスは、多少の動揺と曖昧さにも拘らず、なお結局プロレタリアは民主制への闘いに立ち上がるべきだと説き、過渡期のプロレタリア支配の国家を民主制の国家と考えていた。彼らがそう考えたことの理由は、所謂窮乏化理論によって、プロレタリア、しかも階級意識と社会主義的心情を有するプロレタリアが必然的に民衆の圧倒的多数を占める筈だと信じていたからである。どうもこれは思い違いであったようだ。その思い違いは、プロレタリアの広汎な層が極貧者と極富者の中間に介在しているという経済構造についての認識不足にもあるが、またプロレタリア化、ないし半プロレタリア化したブルジョワジーの陥る心理的状況に関する認識不足にもある。すなわち彼等はその心の支えを新たな階級意識の矜持に求めず、社会主義イデオロギーでなく、民族社会主義イデオロギーに求めたのである。彼等は経済上不可避のプロレタリア化を、ヒロイズムとロマンティシズムの精神態度によって心理的に補償しようとしているのである。この新たなプロレタリアも民主制に背を向ける。共産主義者は社会主義の実現を欲するが故に反民主主義者となったが、彼等[=新しいプロレタリア=ファシスト]は逆にそれを欲しないために反民主主義者となったのである。彼等の果たしている役割は、現存するブルジョワジーたる大ブルジョワジーの政治的努力の補強である。この大ブルジョワジーもまた、あらゆる阻害状況にも拘らず高潮を続ける社会主義の波に対し資本主義体制を擁護するにあたって、民主制は確乎たる障壁になりそうもないので、民主制を見捨てたのである。

 この民主制からの脱却という傾向の意味するところは、要するに民主制という政体は一党派の決定的勝利、相手党派の撲滅を目指す階級闘争にはふさわしくないことを示しているところにある。蓋し民主制とは社会平和、対立の調整、中間線における相互理解の政体だからである。ドイツ国民の統一を致命的に引き裂く恐るべき階級対立の途、血腥い革命の破局への途を避けこの対立を平和的に解決しうる途がありうるとすれば、それこそ民主制の途にほかならない。しかしこの途は平和及び平和の対価を欲しない人々、即ち妥協を欲しない人々のとらないところである。


  三

 右翼陣営は民主制を何と批判しているのか。そこに見出されるのは、多種多様で矛盾にみちた議論であるが、その最も通俗的な議論の一つは「民主制は腐敗の培養基だ」というにある。ところが実際にはこの弊害は専制制において民主制に劣らず多いのである。ただ専制制においては、国家権力に都合の悪いことは一切隠蔽するという原則が支配しているために、眼にみえないだけのことである。それに対し民主制の特質は公然性の原則であり、腐敗が眼につき易いのである。まさしくあらゆる弊害が白日のもとに曝されるからこそ、その是正が行われることが保障されるのである。この民主制腐敗培養基論に劣らず頻繁に批判として唱えられるのが、無規律、特に軍隊が腰抜けになり、外交が弱腰になるということである。これはまことに民主制の中枢神経に関する批判のようにみえるが、歴史に徴してみると根拠薄弱である。世界大戦において、外交上・軍事上民主主義諸国が示したところをみよ。

 独裁制論者が理論上民主制批判論として繰り返し唱えてきた主要な議論は「民主制の基本原理たる多数決原理は、内容上正当な団体意思の形成を全く保障えない」ということにある。「多数決により創造された秩序は、それが善いものだという保障は全ない。何故なら多数決原理は意思形成の方法にすぎず、その意思によりいかなる内容を定むべきかを示さないからである。それ故多数決ではなく、最善者の支配によるべきである」というのである。この議論はプラトン以来反民主主義論がくりかえし説いてきた定式であるが、よりよき代案を示すことはできない。この定式はその破壊力においては魅力的であるが、積極的には何ものべていない。蓋し最善者が支配すべきだいうのは理の当然である。最善者が支配すべきだとは、社会秩序が正しき最善の内容をもつべきだとの意味であろうが、それに反対する者はどこにもない。問題は「何が正か、正はどこにあるか、誰が最善者か、最善者のみが支配者となり、悪の攻撃に対し支配権を維持することが絶対的に保障されるような方法と何か」にある。反民主主義もまた、社会理論上も社会実践上も決定的なこの問いに対し何の答えも用意していない。彼等は指導者による救済を待望しているのだ。しかし、民主制においては指導者は選挙という白日公然の、コントロール可能な手続きを通じて創出されるが、専制制における指導者の創出は神秘で不明瞭な世界に隠されている。社会的奇蹟信仰が合理的方法に取って代わったのだ。神寵を享け、善を知り欲する指導者の存在は理屈抜きに前提されているのである。これでは組織の社会技術的問題は何ら解決されていず、ただずらされ、イデオロギー的に隠蔽されているにすぎない。しかし現実の独裁制において行われているところによれば、それを決するものは権力であり、最善者とは他者を屈服せしめうる者にほかならない。「最善者のみが支配権を有する」という定式の背後に潜むものはせいぜい無批判的で奇蹟信仰的な権力崇拝に他ならない。

 この最善者支配論に依拠しつつ「すべての問題、あるいは重要問題の決定は専門家に委ねるべきだ」と説かれるのが常である。これとの関連で職能制対民主制という対置が置かれる。最広義における技術的問題が多数決のみによっては解決されえないということは全く正しいが、民主制原理と専門的職能とを本質的対立物と考えることは全く正しくない。第一に、遺憾ながら多くの場合、看過されていることであるが、政治における専門家の地位は第二儀的なものだということを忘れてはならない。第一義的に問題となるのは社会的目的の設定であり、こては専門家の出る幕ではない。目的が定められてはじめて、その達成のための適当な手段の決定が問題となり、専門家の出る幕となるのである。ドイツでは専門家の過大評価が一般的であるが、これ程近視眼的なものはない。政治的理性を捨てて専門的技術的問題にすべてを委ねる態度こそ自治権喪失に至る確実な途であり、これこそいつの時代にも専制制の最も強力なイデオロギーをなすものであった。専門家を専らにもてはやす人々は、専門家間に頻繁に対立が生ずることを忘れている。技術的・自然科学的領域においてさえ対立が生じるのであるから、社会技術の領域においては猶更である。この対立に決着をつけうる者は非専門家、即ち政治家を措いてない。目的の決定、目標の設定、特に究極的社会目標の樹立の如きは専門家的考慮の埒外にあり、職能組織の如きも自ら必要な決定をなす能力をもたない。利害対立や権力問題は妥協か命令かによって民主的にあるいは専制的に解決されうるのみである。職能組織や専門家は決定機関ではなく、助言機関たりうるのみである。従って彼等は議会に対しても独裁者に対しても同様に助言を与えうる。

 確かに仮に「何が社会的正義か、善か、最善か」という問いに対し、万人に直接明証的に解答が示され、従って絶対的・客観的妥当性をもって万人を直接拘束しうるような解答が与えられうるとすれば、民主制は全然成立しえない。不可疑の正当性をもつ基準について投票し多数決に附することに何の意味があろうか。絶対善の恩恵を蒙る者は、その絶対善の権威に対し、有難く無限の服従を捧げる以外に何をなしえようか。しかし一体こういう仕方で社会秩序の最善の内容への問いに答えることが可能であろうか。そもそも人間的認識は絶対的価値に到達しうるものであろうか。人間精神は幾千年来この問いに悩みつづけたが、空しかったではないか。絶対的価値の存在を信ずる者、自己自身乃至他の何人かがこの価値を占有していると考える者、その者のみが民主制を断罪し、自己の意思を万人に強制し、実力をもってしても自己の信念を他者に押しつける権利を唱えうるのである。それに対し人間的認識の到達しうるのは相対的価値のみであることを知る者は、その価値の実現必須の法制を正当化する条件として、万人の合意ではないにせよ(そんなことは無政府状態をもたらすものだから不可能だ)、なお少なくともかかる強制秩序の適用対象をなす人々の過半数の合意を求めざるをえない。これが国家秩序の内容をなす一般意思(volonté générale)とこの秩序に服する諸個人の意思たる全員の意思(volonté de tous)の間の相違を最少にすることによって、自由を最大にしようとする民主制の原則である。

 この自由は民主制以外の政治体制において、特に独裁制においては回復不可能なまでに失われてしまう。それが社会主義的独裁であろうと、民族主義的独裁であろうと。歴史の各頁は、自律という政治的自由が失われるところでは、必然的に精神的自由が消失することを教えている。ここで精神の自由とは、学問の自由、倫理的・芸術的・宗教的信条の自由を意味する。現在反民主制の旗を振っている知識人たちは、自分の乗っている枝を鋸で挽いているのだ。彼等が求めている独裁制が現実のものとなり、彼等がそのもとで生活せざるえなくなったならば、彼等は独裁制を呪い、かつてかくも誹謗した民主制への復帰を希求するであろう。


  四

 最後に考察さるべきは、ボルシェヴィストやファシストでなく、他ならぬ民主主義者によってなされる次のような民主制批判である。

 「民主制はその敵よりの攻撃に対し最も脆弱な政体である。民主制はその最悪の敵さえもその乳房で養わざるをえないという悲劇的宿命を負っている。民主制が自己に忠実であろうとすれば、民主制絶滅運動をも容認し、それに他の政治的立場と同様の発展可能性を保障せざるをえない。かくて民主制は最も民主的な方法で廃棄されるという奇妙な場景に直面する。国民が、最大の邪悪は自己の権利だと信じ込まされて、かつて自らに与えた権利の剥奪を要求するという場面に。この場景を眼にするとき、我々はかのルソーの悲観的な言葉に思いあたるであろう。即ち『このように完全な国家は人間には立派すぎる。神々の国のみが民主的統治を永続させうるであろう』という言葉に。」

 こうなると「その際民主制の理論的擁護を止めるべきか。民主制はもはやそれを欲しない民衆の反抗に抗し、まさしく民主制破壊の意思において結集した多数者に抗しても擁護さるべきなのか」という問いも生じてこよう。こういう問題設定自体が否と答えることと同じである。多数の意思に抗し暴力にさえ訴えて主張される民主主義はもはや民主主義ではない。民衆の支配が民衆の反対に抗して存立しうる筈がないし、そのようなことは試みるべきでもない。民主主義者は身を忌むべき矛盾に身を委ね、民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠実を守るべきである。自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほどやがて一層の情熱をもって再生するであろうという希望のみを胸に抱きつつ、海底に沈み行くのである。

(長尾龍一訳、『ハンス・ケルゼン』、東京大学出版会、UP選書、1974年、所収、pp. 246-255より全文を転載)

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