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南スーダンPKOは問題だらけだ。 [戦争法廃止]

また新聞丸ごと引用ですんません。朝日の社説を借ります。

(社説)南スーダンPKO 新任務の付与に反対する
http://www.asahi.com/articles/DA3S12626195.html?ref=nmail_20161026mo

南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されている陸上自衛隊に、安全保障関連法で可能になった「駆けつけ警護」など新任務を付与するか。

 最終的な判断に向けて、政府が検討を進めている。

 きのうの閣議で、今月末までの派遣期間を来年3月末まで延長すると決めた。11月20日ごろの次期部隊派遣までに判断する方向だ。

 駆けつけ警護は、離れた場所で武装勢力などに襲われた国連やNGOの要員らを、武器を持って助けに行く任務だ。自らを守る武器使用の一線を越え、隊員の任務遂行のための武器使用が可能になる。

 紛争のあった国の再建を手伝う「平和構築」は、憲法前文の精神に沿うものだ。日本も「地球貢献国家」として、自衛隊が参加できるPKO任務の幅を広げたい――。朝日新聞は社説でそう主張してきた。

 刻々と状況が変わる現場で、駆けつけ警護のような動きを迫られる場面は過去にもあった。その場合、憲法や国内法の枠内で行われるのは当然だ。

 だがいま、南スーダンは事実上の内戦状態にある。政府は憲法9条との兼ね合いで設けられた「PKO参加5原則」は維持されていると強調するが、「紛争当事者間の停戦合意」や「紛争当事者の受け入れ同意」が成り立っているのか、強い疑問がぬぐえない。

 そうした状況で、新任務の付与に踏み込むことには、反対せざるをえない。


 ■前のめりの安倍政権

 「仕組みはできた。必要なことは新しい防衛省・自衛隊による実行です。いまこそ実行の時であります」

 安倍首相は9月、自衛隊の幹部らにこう訓示した。

 昨年成立した安保法は、7月の参院選まで「実行」が封印された。いよいよ実績づくりに前のめりのように見える。

 しかし、現地の情勢はそれを許す状態とは程遠い。

 長い紛争をへて、スーダンから南スーダンが独立したのは2011年。自衛隊派遣はこの年に決まったが、いわゆる「紛争当事者」が存在しないPKOとされ、停戦合意の有無は派遣の前提とはされなかった。

 だが、13年12月の大統領派と副大統領派の戦闘を機に、事実上の内戦状態になった。15年8月に和平合意が成立し、今年4月に暫定政権が樹立された。

 それが7月になって、自衛隊が活動している首都ジュバで、大統領派と副大統領派の大規模な戦闘が起き、数百人が亡くなった。今月もジュバ周辺で民間人を乗せたトラックが襲われ、21人が死亡。北東部では政府軍と反政府勢力の戦闘で60人以上が死亡した。


 ■変わった派遣の前提

 派遣当初とは自衛隊派遣の前提が変わったと考えるのが自然だろう。現状では南スーダンの反政府勢力を紛争の一方の当事者とみるべきではないか。

 ところが日本政府は、従来の立場を変えようとしない。

 反政府勢力には、系統だった組織性がなく、支配が確立した領域もないとして、「紛争当事者ではない」と説明。繰り返される戦闘も、法的には「衝突」であり、「戦闘」ではないというのが、政府の言い分だ。

 稲田防衛相は国会で「新たな任務が加わるからといって、単純にリスクが増えるものではない」と強調した。現実離れした主張というほかない。

 他国軍との連携も想定されるなか、駆けつけ警護の訓練は十分か。現地派遣の医官の数にも限りがあり、隊員が負傷した時の対応にも不安が残る。

 駆けつけ警護を認める条件として、政府はPKO参加5原則に「受け入れ同意が安定的に維持されていること」を加えた。だが、現地政府がPKO部隊の増派に一時難色を示すなど、現状は安定的とは言いがたい。

 反政府勢力のトップ、マシャル前副大統領は朝日新聞に「7月に起きた戦闘で、和平合意と統一政権は崩壊したと考えている」と語った。

 南スーダン情勢の先行きが見通せないなかで、日本政府が急ぐべきは、むしろ自衛隊の撤収に向けた環境を整えることではないか。


 ■「出口戦略」の検討を

 とはいえ、ただちに自衛隊を撤収させれば、日本が南スーダンを見放すというメッセージになりかねない。

 だとすれば、自衛隊派遣に代わりうる、日本にふさわしい貢献策を打ち出す準備を始めなければならない。

 途上国援助(ODA)を拡充し、国際社会と連携しながら現地政府に働きかけ、南スーダンの安定化の進展と連動させる形でインフラ整備や教育、衛生など非軍事の支援を強める。そんな方策が考えられないか。

 法的な位置づけをあいまいにし、自衛隊の「出口戦略」も不明確なまま、危険な新任務に踏み込んではならない。


政治の世界は常に言語感覚がいかれてしまっております。とくにアベが首相になってからがひどい。総裁任期が延長になったからといっていい気になるんじゃない!!
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矢野龍渓の社会主義① [矢野龍渓]

矢野龍渓の社会主義に関する論文がありまして、前回の平和論に続いてひとつ書いてみたいと思います。

いずれの論文も既に退官されておりますが、元慶応大学講師の蔦木能雄氏によるものです。

明治期社会主義の一考察 : 矢野文雄と『新社会』
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19930701-0122
こちらPDFです。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19930701-0122.pdf?file_id=86904

社会問題講究会と矢野文雄
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19971001-0113.pdf?file_id=87203

こちらは以前、「立憲主義にちなんでー交詢社系の憲法私案の改憲手続」で使わせていただきました。
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-07-17

どちらもテキストのコピペができませんので、画像による引用とさせていただきます。

 龍渓の社会主義的な考え方に影響を与えた二人に関するものを予め紹介しておきましょう。
 一人目はエドワード・ベラミーで
http://kousyou.cc/archives/8876
”資本論に次ぐ影響を与えたという十九世紀末のユートピア小説「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」エドワード・ベラミー 著”

 もう一人はウィリアム・モリス
http://u-air.net/workshop/board/teshima2000.htm
”ウィリアム・モリスとクラフトマンシップ”
 こちらにはヴェブレンが随所に出てきますので、龍渓とヴェブレンの共通点を探るにはもってこいの人物です。以前に「ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)」を買っていた関係で、岩波文庫の「ユートピアだより」も買ってしまいました。ただほとんど開くこともなく、この度、吉本隆明の「共同幻想論」通読のあとの布団本として格闘しております。

さて、蔦木能雄氏の著作目録によれば、
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-20100101-0159.pdf?file_id=88330
”矢野文雄と『新社会』”が1993年、”社会問題講究会と矢野文雄”が1997年ですので、まず初めに新社会の方の論文からいかせていただきます。そこそこの分量になりますので、2回か3回に分けて行きましょう。

 それでは、”矢野文雄と『新社会』”の前の方は飛ばして”3.「新社会」の社会主義思想史上の評価”のところから行きましょう。まずは、”(1)「新社会」の社会主義論としての位置”の部分からいくつか引用しましょう。

新社会1-129.png

 上の部分は、「矢野龍渓」(田中浩編『近代日本のジャーナリスト』御茶ノ水書房(1987年)の著者である井田輝敏氏の「新社会」の社会主義論としての評価についての部分です。蔦木氏はかなり丁寧に各研究者の評価を論文にまとめていただいてますが、井田氏のものが1987年と比較的新しい時期のものになるので、取り上げてみました。
 ことに龍渓の「立憲帝政」と社会主義が両立可能なのか?という観点から否定的に評価している点にあるでしょう。ベルリンの壁の崩壊が1989年ですので、社会主義、共産主義と王制、国家元首の存在がまだしっくりとは来ていない時期、井田氏の見解もやむを得ないところか。
 ただ帝政の部分を抜きにすれば、私有財産にメスを入れたこと、世界平和の問題など、元々、龍渓が「新社会」を小説ではなく、経済論文として発表しようと考えていた点は当時としては大胆な切り込みであったといえるでしょう。結果的に小説と言う体裁をとることで、官憲側の社会主義者への弾圧を和らげる意味もあり、啓蒙的な意味からみたら、この「新社会」の存在は意義が大きかったと言えるのではないでしょうか。蔦木氏も好意的に見ています。

130ページと書いているところの左側
新社会2-130-1.png

130ページの右側
新社会3-130-2.png
 以上の二か所は、共通する言葉として”国有化・公有化”の推進が挙げられていますが、自由競争原理の否定など社会主義の理念的なものであり、幸徳秋水、片山潜など当時の代表的社会主義者と共通するものでした。

130ページの右側の下
新社会4-130-3.png
 蔦木氏は、龍渓が「真の目的である人間の自由や幸福を優先する理解に立っていた」から、社会主義そのものを目的化するのではなく、”手段”に過ぎないと考えていたから、後世の社会主義研究家からみたら、初期性ゆえの物足りなさや、時代遅れな社会主義という批判も払拭できるのではないかという趣旨の見解を示しています。

131ページと書いているところの左側
新社会5-131.png
 この部分は、龍渓が、当面の課題は制度の変革であっても、社会主義の目標とするところは、根底に”人間の自由や幸福”が存することを明確に認識していたと、蔦木氏は述べています。

132ページと書いているところの左側
新社会6-132.png
 龍渓の「立憲帝政」との調和に関しては、多くの社会主義研究家は、かなり批判的です。楽観、美化というきつい表現を使われていますが、「帝王は人民本位に施政に取り組む存在」であり、「政治制度そのものが人民の幸福の用具」として、「新社会」全般に渡る基調に存在することから、現在の象徴天皇制に近い状態を理想としていたのではないかと受け止められます。

 ただ、交詢社の憲法草案に見られる天皇制、”皇権”の部分を抜き出すと次のようになります。

第1條 天皇は宰相並に元老院國会院の立法両院に依て國を統治す

第2條 天皇は聖神にして犯すべからざるものとす 政務の責は宰相之に當る

第3條 日本政府の歳出入租税國債及諸般の法律は元老院國会院に於て之を議決し 天皇の批准を得て始めて法律の効あり

第4條 行政の権は天皇に属し 行政官吏をして法律に遵い総て其事務を執行せしむ

第5條 司法の権は天皇に属し 裁判官をして法律に遵い凡て民事刑事の裁判を司らしむ

第6條 天皇は法律を布告し 海陸軍を統率し 外國に対し宣戦講和を為し 条約を結び 官職爵位を授け勲功を賞し 貨幣を鋳造し 罪犯を宥恕し 元老院國会院を開閉し中止し 元老院議員を命じ 国会院を解散するの特権を有す 但し海関税を更改するの条約は予め之を元老院国会院の議に附すべし

第7條 天皇は内閣宰相を置き万機の政を信任すべし

 帝国憲法もかなりこれを参考にしたとも言われていますが、龍渓を中心とした立案者のグループは、イギリス王室をモデルとしていると言われていますので、自由民権運動の頃の龍渓の思想と、日清日露戦争を経てからの思想には、明かな変化があったと考えてもいいのではないでしょうか。

矢野龍渓の平和論-博士論文「明治の平和主義小説」序論より
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06

の論文もしっかり読みこなさないといけませんが、ここらの思想的変遷についても、しっかり見抜いていかないといけないと思っております。

続きは、”「新社会」の先駆性と現実性”のところからにいたしましょう。

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今日の天声人語はなかなかいい。 [憲法改悪阻止]

 自民党総裁任期がしゃんしゃんで決まってしまってあきれかえっていたら、朝日の天声人語がなかなかいいことを書いてくれました。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12618114.html?ref=nmail_20161021mo

19世紀のメキシコディアスという大統領がいた。「大統領の再選反対」を掲げながら、当選するや再選禁止の撤廃に邁進(まいしん)する。再選に再選を重ね、35年の長きにわたって実権を手放さなかった
▼ひれ伏す者は庇護(ひご)し、立ち向かう者を容赦なく弾圧するその政治手法は「パンと棍棒(こんぼう)」と呼ばれた。経済成長を達成したものの、世紀をまたぐ圧政に耐えかねて国民が蜂起する。ディアスは亡命、再選禁止も復活した
▼ここまで権力への執着が強いとは思いたくないが、自民党が現行2期6年という党総裁の任期の延長を決めた。3期9年が実現すると安倍晋三首相の在職は通算3500日を超す。党内会合で異論らしい異論は出なかったという
▼日本の首相がほぼ1年刻みで代わり続けたのはつい先年のことである。あの時代がよかったとは決して思わないが、もの申す議員がいない中、権力者の任期があっさり延ばされていく現状には不安を覚える。数の力と引き換えに考える力を失ったか。私たち有権者は決定に口をはさめない
▼歴代で最も長く首相の座にあったのは、長州出身の桂太郎である。3期通算で2886日。だが最後の内閣はわずか2カ月で倒れた。立憲主義を軽んじ、薩長閥を重んじる手法が批判され、大勢の市民が国会を取り囲んだ
▼「同一人がどんな役にも二度と就かないこと」。民主制の要をアリストテレスはそう説いた。権力の座に長くあれば為政者は民意に鈍感になる。古今東西の歴史が教えるところである。

 まさか桂太郎の任期を越えようという気はないだろうな。と思ったけど、アベは歴史に名を残すには政治の中身ではなく日数ぐらいしかないと考えているのでしょう。

 まあとにかく、自民に自浄能力がなくなればそれを許してしまうでしょうが、その前に国民がそれを許さない。投票で実現するしかないのではないかと考えますが、衆議院補選のあるところの有権者の皆さん、一票一揆、一票革命を起こしてみませんか?

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米山氏に投票した新潟県民の皆さん ありがとうございます。 [原発問題・再稼働]

この勝利について何も書かないわけにはいかないので、ちょいと社説を借ります。

毎日
http://mainichi.jp/articles/20161017/ddm/005/070/072000c?fm=mnm

新潟県知事選 原発不信を受け止めよ

安倍晋三政権と東京電力は選挙結果を真剣に受け止めるべきである。東電柏崎刈羽原発の再稼働問題が大きな争点となった新潟県知事選は、再稼働に慎重な姿勢を強く打ち出した医師、米山隆一氏=共産、自由、社民推薦=が接戦を制して初当選を果たした。

 敗れた前長岡市長の森民夫氏を推薦した自民、公明両党内には当初、最近の政党支持率の高さや組織力の強さから楽勝ムードが漂っていた選挙だ。にもかかわらず、この結果となったのは、いかに東電に対する県民の不信感が強いかの表れだ。

しかも7月の鹿児島県知事選で、自公両党が支援して4選を目指した当時の現職が、九州電力川内原発の停止を掲げた三反園訓氏に敗れたのに続く敗北だ。再稼働に対する姿勢があいまいだった森氏に対する不満だけでなく、原発の維持・再稼働路線をひた走る安倍政権への批判も大きいと見ていいだろう。

 今回の知事選は、現職の泉田裕彦知事が突然、4選出馬を断念したことで様相が一変した。

 断念した理由は必ずしも明確ではない。だが泉田氏は2011年の東電福島第1原発の大惨事以降、「事故の検証と総括なしに柏崎刈羽の再稼働議論はできない」と東電に厳しい注文を突きつけ続けてきた。このため東電や安倍政権には、泉田氏が引退することで再稼働が進むかもしれないという期待があった。

 ところが選挙が始まると、泉田路線の継承を訴える米山氏が支持を広げ、自民党は二階俊博幹事長ら幹部が続々と新潟入りして地元経済界や業界団体の関係者を集めて引き締めを求めるなど大慌てになった。

なりふり構わぬ動きに「古い自民党体質」を感じた有権者も多かったはずだ。森氏も全国市長会長を務めた経験を強調し、政府とのパイプの太さをアピールしたものの、再稼働に対する姿勢は最後まで腰が引けている印象だった。

 原発事故の際の住民避難計画に問題はないかどうかをはじめ、泉田時代から積み残された課題は多い。米山氏が公約通り、それにきちんと対処していくのは当然だ。東電や政府もより慎重な姿勢が必要となる。

 自主投票とした民進党もお粗末だった。元々、次期衆院選の同党候補に内定していた米山氏を推薦できなかったのは支持団体の連合内で東電の労組が力を持っているからだ。しかし「勝てる」と見てか、最終盤になって一転して蓮舫代表が米山氏の応援のために新潟入りするという迷走ぶりだった。

 原発政策を改めて議論して党の態度を明確にしないと有権者には信頼されない。
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特筆すべきは米山氏が医師でもあるので、選挙中に
https://twitter.com/kumikokatase/status/787787107855060992
「福島では172人の子どもが甲状腺がん。ごくまれなガンなのに。自分が勉強した数の20倍か30倍」と言っている点をマスコミはもっと強調すべきです。

アベ いつまでもごまかしはきかんぞ!! 
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矢野龍渓の平和論-博士論文「明治の平和主義小説」序論より [矢野龍渓]

「明治の平和主義小説」なる論文がみつかりまして、矢野龍渓の名前が随所にでてきます。

菅原健史氏の名古屋大学での博士論文のようです。学位授与年月日:平成24年9月27日となっております。
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/17966/1/k9833.pdf

ただ版組の関係か、PDFのコピーペーストがおかしくなって引用がなかなかしにくいです。部分的に画像を使わせていただきます。最近は、ヴェブレンの平和論にちょっとこだわっていましたら、たまたま検索していてこの龍渓を含む明治の平和主義小説の論文が見つかりました。
 政治小説家矢野龍渓としての代表作の経国美談の中にもカントの永遠平和の一節と共通すると見られる記述もあり、後年、本格的な平和主義小説である「新社会」「不必要」に関しても、菅原氏がこの論文の中で取り上げていただいております。
 矢野龍渓は、絶対平和主義者ではありませんが、”平和優先主義者”に分類され「戦争は改革によって防止・廃止されうる。全ての侵略戦争は禁止され、一部の自衛戦争も禁止されるが、侵略を排除するための軍事的防衛の必要性は受け入れる。」というものです。(5ページ)ヴェブレンもこれに近いような気はします。

 まずは、代表作「経国美談」のカントの永遠平和と類似した記述の部分

3ページ
矢野龍渓永遠平和.png

 龍渓自身が、カントの永遠平和を入手していた記録はないらしいのですが、同じ自由民権家の植木枝盛あたりの文書から国際平和機関の必要性を学んだ可能性があると菅原氏は見ています。ただ龍渓は新聞人、いわばジャーナリストですので、文学者として理想を追うのではなく、カント的な平和連合だけでは永遠平和は実現できない、軍事力の均衡や覇権に依存するしかないという認識だったようです。

 次に「新社会」に関する部分です。

6ページ
龍渓新社会.png

 「新社会」の前に「浮城物語」というのがあって、「経国美談」以上に現実的な考え方がにじみ出ていました。「小国の独立のための戦争は賞賛すべき英雄的行為」と述べています。当時としてはやむを得んかなと思うのですが、こういう考え方が、大東亜共栄圏の発想になってゆくゆくは第二次世界大戦へと繋がっていってしまう。
 何が転機になったかは調べていないのですが、1902年(明治35年)に「新社会」を発刊します。”万国平和協会”が登場し、なかなか画期的で、「労力者」を主体とする平和論を展開しています。ただ完全な社会主義とは言えず、ある程度の現状肯定的な「社会改革案」の要素が強かったと言われています。詳しくはまたの機会に書くと致しましょう。

 「不必要」が龍渓の最後の小説になります。1907(明治40)年の発刊です。平和のための手段という点では、「新社会」より後退したと言われています。

9ページ
龍渓不必要.png

 世界平和実現のための手段を論じる部分ではありませんが、「時善」と「純善」の言葉が印象的ですね。その時代において”善”であることを選ぶのか、時代が変わっても人類が普遍的に”善”であると信じることを選ぶのか。戦争だから人を殺しても、正当防衛だ、緊急避難だで正当化するのか、それともいかなる場合でも人を殺すのは”悪”なのか?
「千年の後ち、列国の間に戦ひが無くなると云ふ時代から見たら、どうだネ、昔は殺すのが賞美されたさうだ、不思議な事だと評される時代も来るであろう、」
 この言葉は、ジャーナリストとして冷静な矢野龍渓の言葉ではなく、理想としては”絶対平和主義者”であろうとする矢野文雄の純粋な気持ちを表していると信じたいですね。
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ヴェブレンがドイツと日本を危険視した理由の続き [ヴェブレン]

前回の続きを少々

J.B.クラークとヴェブレン 田中敏弘氏
http://ci.nii.ac.jp/naid/110004999178/en
ここにアクセスして、次のところをクリックするとPDFファイルが読めます。
CiNii.png

前回と重複しますが、29ページ

<「所有権と、この権利が効果を現わす価格体制のもつ諸権利を現在排除し、究極的に廃棄すること、この線に沿った希望に満ちた端緒は、前の箇所で述べられたように、明らかに市民のすべての金銭的権利の中立化であろう。 他方、競争的利得と競争的支出をともなう体制を断念する犠牲を払ってまで平和が望まれないならば、平和促進者は当然しかるべき予防策を講じ、相互羨望という極めて不安定な均衡をもたらすような平和的解決、すなわち、金銭問題の不満がこの既成の金銭的特権体制を脅かすようになったときには、急遽転覆させられるような体制の方向にだけ動くであろう」(367)>

 価格体制、価格体系とも訳されますが、ヴェブレンが1917年に出した著書 AN INQUIRY INTO THE NATURE OF PEACE の7章に出てきます。こちらで原文が読めますが
http://www.gutenberg.org/files/20694/20694-h/20694-h.htm#CHAPTER_VII
けっこう長いので、Google翻訳を使っても、辞書を鍛えないとちょいと読めません。端的に言ってしまえば、「価格体系と営利原則の破棄が恒久平和の条件」であるとヴェブレンは主張します。前回の4つの条件から読みとるのはちょいと難しいのですが、1919年に出版される「技術者と価格体制」をじっくり読めば私でも意味がわかってくると思います。幸い翻訳本が県立図書館でも手に入ります。またの機会にチャレンジしてみましょう。

30ページでは、4 ヴェルサイユ条約とその後のところに、第一次大戦後の賠償問題を機に、ヴェブレンが積極的に戦争と平和に関する論説を書き続けたと書かれています。

<これらの論説でヴェブレンは、平和の条件、日本の現況、恒久平和に対する阻害条件としての先進国の植民地主義と不在所有制、国家主権と国境の陳腐化、反ボルシェヴィズムなど、広範囲にわたって論じた18)。
ヴェブレンにとっては、この条約によって成立したヴェルサイユ体制は、恒久平和をもたらすものではまったくなかった19)。彼によれば、「平和条約は、本質的にみて国際的嫉妬心の温存を特に意図して、もとの状態(statusquoaIlte)を再建しようと企図した。条約は、連盟と共に、世界平和の解決をもたらす代りに、その背後で列強の長老政治家たち(Elder Statcsman)が、政治的術策や帝国主義的拡大を追求し続ける、外交的饒舌の煙幕以上の何物でもないことを既に示したのであった」>

<ヴェブレンの結論は明らかだった。すなわち、「要するに、戦勝国の政治家たちは、現存する政治経済秩序をまもり-世界を投資家の民主主義にとって安全なところとするよう努力することで、ドイツの戦犯的な不在所有者に味方し、自国の下層民衆に敵対したのである」>

不在所有制の問題は以前ここに書いております。

宇沢先生の「ヴェブレン」に書かれた不在所有制
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-10-13

「ヴェブレンの平和論をつきつめていくとこの不在所有制に突きあたるのですが、この点は以前、県立図書館で借りた「ヴェブレンとその時代」(稲上 毅  新曜社 )、けっこう分厚いのですけど5章の部分だけコピーしていましたので、またの機会に何か書いてみたいと思います。」

と書いておりますので、今回このコピーを再び手にすることになったのですが、これもけっこうなページ数がありますので、またの機会に先延ばし、と逃げる。

いつまでも逃げてばかりではいかんので1行だけ引用しますと
<第一次大戦は不在所有制をめぐる利害関係の対立から生じたものであり、パリ講和条約はこの経済制度の存続と安定化のために行われたものだからである。>「ヴェブレンとその時代」(稲上 毅  新曜社 )P539
一般になじみのない「不在所有制」ですが、理解するにはまだまだ時間がかかりそうです。

 アベは原発の輸出はおろか、兵器の輸出やイスラエルとの共同開発などで、経済界を“武器商人”化していってます。経団連もいいかげんに目を覚ませよ。その儲けた金のウラでどれだけ多くのシリアの子供たちの命が奪われているかを。あまりにも不感症になっていないか。良心が痛まないのか。意見すら言うこともできない財界の大物たちにあいそがつきましたねえ。
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