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矢野龍渓の社会主義③ [矢野龍渓]

間があきましたが、今回はこちらの論文からです。

社会問題講究会と矢野文雄
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19971001-0113.pdf?file_id=87203

こちらは小説の「新社会」から離れ、龍渓が矢野文雄として社会主義に関する行動を起こしたことの論文になります。

社会問題115ー1.png

 社会問題”講”究会という名称で“研究会”でないところに特徴があるのでしょう。
 辞書では 
 物事を深くしらべ,きわめること。{類義語}研究。  
とありますので同じようなものでしょうが、龍渓 矢野文雄は、学究的な研究のみではなく、社会的啓蒙も含めて、社会主義を”極める”ことを目的にしたのではないでしょうか。
 後の部分を読んでいきますと、先に社会問題研究会と言う組織もありましたので、違う名称を使わさるを得なかったのかもしれません。
 上の引用部分にあるように「治安警察法」の導入があり、労働運動や社会主義思想の弾圧は強まったのですが、国民の関心は逆に高まるばかりで、社会主義文献もかなり有名なものが世に出回るようになっていました。

社会問題115-2.png

 日露戦争の開戦前に、矢野文雄は、この講究会を立ち上げるのですが、前に記事にした平和主義の側面から、堺、幸徳らの社会主義者たちとの連携を模索したのではないかと考えられます。引用部分にありますように、自由民権運動の頃とは違って、慎重な動きをしていたと言われています。日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日に開戦ですが、この会が創設されたのが1902年10月です。「新社会」の刊行も同じ年ですので、平和主義と社会主義を車の両輪ととらえていた可能性もあります。
 ただ、矢野文雄が”社会主義”を名乗らず“社会問題”としたのは、不特定多数の大衆性を持つ組織・活動の場としてこの講究会を考えていたようです。 

社会問題118-1.png

 「新社会」刊行の年は、いろいろと急展開をしていったようで、幸徳ら社会主義者たちも実践に向けた動きを見せており、当局の警戒が一段と強まったなっております。
 社会主義協会の方は、実践的といっても表面上は、研究・講演を主体にしており、はっきりと「反戦」かかげて社会主義的行動を起こすのは、平民社が設立されてからだったようです。

社会問題118-2.png

 上の引用部分は、社会問題講究会、矢野文雄と社会主義協会との関係がわかる部分を記述していますが、片山潜が「労働世界」という雑誌に矢野文雄をはっきり社会主義者として認めて紹介している点が特筆すべき点でしょう。1902年の5月に対談の場を持ったとされています。
 片山潜は日本史の教科書に出てきてたかな。とりあえずウィキペディアを。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%BD%9C
1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。
となっていますねえ。
1921年(大正10年)、ソビエト連邦に渡り、コミンテルン常任執行委員会幹部となる。国外にあって日本共産党結党の指導を行い、また国際反帝同盟を指導し反戦運動に従事した。
となっていますので、まあ今で言えば、がっちがちのサヨクか。
 そういう意味では、矢野文雄は明らかに「社会主義者」になったと言えるのですが、この会談のあった1902年あたりは
1901年(明治34年)に社会主義研究会を改組した日本で最初の社会主義政党である社会民主党に幸徳秋水らとともに入党した。
という時期でしたので、まだ、初期の段階と言っていいのでしょう。

 一気に飛ばして「3 社会問題講究会と矢野文雄の役割」の部分に移ります。

 時期は講究会設立のちょっと前に遡ります。
社会問題130.png

 欄外の注釈部分までキャプチャをとりましたが、「新社会」の存在が、社会主義を国民が接しやすいようにしたということで、宣伝塔の役割を果たした。注釈の16は、引用部分の1行前についているのですが、社会問題研究会(これは講究会とは別組織で、1898年に設立されています。)が、入門所、まあ平たく言えば小学校の役目をし、社会主義研究会、社会主義協会とランクアップして、矢野にとって「社会主義の学校」の役割を果たしていたと述べています。
 欄外は、矢野文雄自身が果たして社会主義者といえるかどうかの考察部分で、ある面貴重な情報です。清国全権大使を1899年までやっていて、外交官をやっていながら、どちらかといえば反政府的な社会主義者への道を選ぶ。矢野文雄が、社会問題研究会と社会主義研究会に関わった度合い等は、筆者である蔦木氏も「今後の課題」と書いていますので、私にはわからないですが、次の引用部分にあるように、反戦を明確に掲げる平民社の運動が展開されていくことになります。そして平民社との関わりは、はっきりとしてきます。

社会問題131.png
 
 矢野文雄自身は、立場上だったのか、前回の終わりに書いた天皇制へのこだわりからかは、わかりませんが、この平民社設立までの社会主義者たちの流れとは一線を引いて、講究会を立ち上げる行動に出ます。ただ、片山、幸徳らとは交友関係を保っていきます。片山と並ぶ明治期の社会主義者として、幸徳秋水の説明も少し必要ですね。
 例によってウィキペディアです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E7%A7%8B%E6%B0%B4
明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。
と出てきますね。
1910年(明治43年)6月、幸徳事件(大逆事件)において逮捕。
このあたりは有名ですね。

”1901年(明治34年)、『廿世紀之怪物帝国主義』を刊行し帝国主義を批判。これは当時、国際的に見ても先進的なものであった。又、この年田中正造が足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴したときの直訴状は、まず秋水が書き、正造が手を加えたものである(正造が直訴状の執筆を依頼した者たちが後難をおそれてしりごみする中、秋水だけが断らずに書いたといわれる)”

ということですので、幸徳は、矢野文雄と接点を持つ時期には、すでにがちがちのサヨクであったようです。
 引用部分に戻りますと、平民社の母体となったのは、社会主義協会で、日露戦争に対しても、非戦の立場を貫きこれが平民社になってからも継承されていきます。
 平民社には加わらなかった矢野文雄ですが、日露戦争の直前は、世論は開戦に向いており、非戦論に対しては若干距離を置くようになります。

「終わりに-社会問題講究会以降の矢野文雄」 の部分に移ります。

社会問題135.png

 「新社会」の後の平和主義小説である「不必要」に触れた部分ですが、”矢野龍渓の平和論-博士論文「明治の平和主義小説」序論より”(http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06)では、新社会より後退したと言われていました。ただ社会主義の側面からは、新社会の延長線上にあるとして、後退はしていないと。
 ロシア革命に対しては、社会主義の点では評価しつつも、ソビエト政権のあり方には批判をして、市場経済の原理を活かしながら社会主義化を進めるなど、ある程度の私有財産を認め、資本主義のよい面は残す形の改革を主張していたようです。ますますヴェブレンに近いような気もしますが。

 「明治の平和主義小説」を書かれた菅原さんのブログにも同様のことが書かれていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/7435230.html

 日本の初期社会主義を代表するとされる矢野龍渓ですが、マルクス・レーニン主義を認めてはいませんでした。ロシア革命から間もない1920年。

 今の儘で進むならば、ソヴエート政府は必ず崩壊するであらう。(略)生産部面が劣悪である結果、幾何もなく生産の不足を来し、同胞をして窮乏に喘がしめ、その極は社会に怨嗟の声を漲らせ、それがためにソヴエート政府は遂に倒されざるを得ない。  『東京日日新聞』一九二〇(大正九)年十月十二日 引用は小栗又一編『龍渓矢野文雄君伝』一九三〇(昭和五)年 による

 ある面、龍渓矢野文雄の預言者的側面も見られますが、実現には70年ほどかかっておるかな。
 菅原氏の言葉を借りれば
”ただ龍渓が読めなかったのは、帝政時代をはるかに上回る「生産の不足」「同胞の窮乏」「社会の怨嗟」にも関わらず、ソビエト政府が崩壊するには70年の歳月を要したという点です。これは龍渓が悪いというより、ソビエト政府が想像を絶するほど非人道的だったのです。 ”
とのことです。あの当時よくこれだけの情報を収集できたものです。元々「訳書読法」とうい本を出していましたので、外国語には堪能でした。ロシア語までやっていたかは調べていませんが、分析能力はかなりなものだったと思われます。
 もしかしてフリーメーソン?まったく根拠がないわけではないのです。
http://www.the-journal.jp/contents/hirano/mb/post_6.html

”矢野は、キリスト教の神怪不可思議な部分を除いて道徳のみを強調するユニテリアンを高く評価した。そして英国のユニテリアン教会に宣教師の派遣を要請したが、成功しなかった。しかし、矢野の運動は当時の日本の教育界や言論界で称賛を受ける。”

この教会がフリーメーソンではないかと副島さんは言ってます。「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」アマゾンで手に入りますが、あまり深追いはせんでおきましょう。

 さて、締めくくりに社会主義の流れを見てみましょう。大内 秀明氏の「ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流」の14ページに社会主義の系統図が出ておりました。日本の代表的な社会主義者も出ております。片山潜は、エンゲルス、レーニン路線、幸徳秋水はプルードンの無政府主義。

社会主義系譜.png

 さて龍渓矢野文雄はどうか?あくまでも「新社会」に込められた思想で、その後の運動によって変化はしているはずですが、蔦木氏の論文の124ページに出ておりました。

社会問題112.png

「矢野氏を以って小ラサレと云へり」とありますので、ラッサールと見られますが、国家社会主義の流れと見るべきか?ベラミーも近い存在ですね。
 この引用部分は、山路愛山という人が主筆を務める「独立評論」という雑誌に載ったものだそうです。

 もう一人明治の社会主義者として重要な人を落としておりましたね。系統図ではモリスの流れをくむ堺利彦がいます。これまたウィキペディアに助けてもらうとすると
堺 利彦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%88%A9%E5%BD%A6
豊前国仲津郡ということで、福沢諭吉の生まれ故郷に近く諭吉に師事した龍渓も親しさを感じ、親交をもつようになったものと思われます。年齢差はけっこうあるのですけどね。

系統図の中でケインズ主義と西欧社会民主主義が点線で結ばれていますが、この中間に位置するのがヴェブレンと思われます。そういう意味では龍渓も同じような位置になるのか?

 いったん終わりますが、統計学の勉強をしながら、ヴェブレンと龍渓のトランスクリティークもどきも並行してやっていきたいと思います。ただ年末年始はあれこれ忙しいので、記事にするのはちょっと先になるかもしれません。
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駆け付け警護閣議決定要旨-なんかよーわからん [戦争法廃止]

昨日の閣議の要旨が公開されてますので記事にしておきます。時間にして10分かけずに決めたんじゃないでしょうか?

南スーダンPKO

駆け付け警護、閣議決定 新任務付与 基本的な考え方(要旨)

http://mainichi.jp/articles/20161116/ddm/005/010/063000c

政府が15日、南スーダンに派遣する陸上自衛隊への「駆け付け警護」任務付与を閣議決定したのにあわせて発表した「新任務付与に関する基本的な考え方」の要旨は次の通り。

<前提>

 ▽わが国が南スーダンに派遣しているのは自衛隊の施設部隊であり、治安維持は任務ではない

<駆け付け警護>

 ▽自衛隊の施設部隊の近傍で非政府組織(NGO)関係者らが襲われ、ほかに速やかに対応できる国連部隊が存在しないなど極めて限定的な場面で、緊急の要請を受け、応急的かつ一時的な措置として能力の範囲内で行う

 ▽南スーダンの日本人に不測の事態が生じる可能性は皆無ではない

 ▽リスクを伴う任務だが、必要な権限を付与し、十分に訓練して体制を整えた方が、自衛隊のリスク低減に資する面もある

 ▽自衛隊が他国の軍人を駆け付け警護することは想定されない

 ▽首都ジュバと周辺地域に限定して実施

<宿営地の共同防護>

 ▽他国の要員と自衛隊員が共同で対処した方が安全を高められる

<武力紛争>

 ▽現地の治安情勢を理由に部隊の撤収を検討している国はない

 ▽国連平和維持活動(PKO)参加5原則を満たしていても、安全を確保しつつ有意義な活動をすることが困難と認められる場合には、部隊を撤収する

 ▽国連南スーダン派遣団(UNMISS)の活動地域でPKO法上の武力紛争は発生していない


と、新聞コピペでだけはいけないので、前の記事の大森4要件を箇条書きにして考えやすくしておきます。


1)戦闘活動が行われている、または行われようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係
2)当該行動等の具体的内容
3)他国の武力の行使の任に当たる者との関係の密接性
4)協力しようとする相手の活動の現況等の諸般の事情

を総合的に勘案して、個々的に判断さるべきものである

ちゃんと4要件を踏まえて考えたのだろうな、アベ。といっても考えるのは官僚。
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駆け付け警護付与の閣議決定に反対する。 [戦争法廃止]

 多分 15日の新聞の社説でも取り上げられるでしょうが、いつまでもコピペばかりでは成長がないので、自分で考えます。といってもどっからかの記事をコピペするのは変わりがありませんが。
 早目にできたので前もってアップします。

 PKO法そのものが違憲の法律なのか?それとも5原則を踏み外した行為をすると違憲状態なのか?その辺の難しい部分は専門家にお任せするとして、今回参考とすべきものとして、イラク特別措置法の名古屋高裁判決があります。

当時の新聞記事
http://www.asahi.com/special2/iraq/NGY200804170005.html

判決はまず、現在のイラク情勢について検討。「イラク国内での戦闘は、実質的には03年3月当初のイラク攻撃の延長で、多国籍軍対武装勢力の国際的な戦闘だ」と指摘した。特にバグダッドについて「まさに国際的な武力紛争の一環として行われている人を殺傷し物を破壊する行為が現に行われている地域」として、イラク復興支援特別措置法の「戦闘地域」に該当すると認定した。

 今回の南スーダンに置き換えますと、根拠法はイラク特措法からPKO法に変わりますが、基本的にPKO法であっても“戦闘地域”への自衛隊の派遣は憲法上できません。5原則も当然”戦闘地域”を除いた場合になります。

 去年の法案審議段階で、この名古屋高裁判決に関わっていただいた弁護団の皆さんが出した声明文があります。

イラク派兵違憲判決弁護団による安保法案に対する声明
http://blogos.com/article/117999/

しかし、名古屋高裁違憲判決は、イラクで活動を行った航空自衛隊の輸送活動について、憲法違反であると判断した。その理由は、イラク特措法に従えば自衛隊の活動地域は「非戦闘地域」に限られるところ、航空自衛隊の輸送先であるバグダッドは非戦闘地域とは認められないこと、輸送物が武装した米兵であったこと、から政府見解(大森4要件)に照らし、他国による武力行使と一体化した行動と言わざるを得ないとして、憲法9条1項違反と断じたのである。

 新聞記事より踏み込んでいただいておりますが、集団的自衛権そのものが違憲ですから、あれこれいうまでもないのですが、ここで気になるのが”大森4要件”です。大森とは、あの元内閣法制局長官です。ただ駆け付け警護に関しては長谷部教授との対談の中では認めてもいいのではないかとおっしゃた方です。

南スーダンPKO-駆けつけ警護は合憲か? 
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-09-29

 次の記事に”大森4要件”の説明があります。

武力行使一体化の情報提供できない 後方支援
http://economic.jp/?p=49436

大森4要件とは、平成9年2月の衆院予算委員会で大森内閣法制局長官が答弁で「他国による武力の行使と一体となす行為であるかどうか、その判断につきましては大体4つぐらいの考慮事情を述べてきている。要するに、戦闘活動が行われている、または行われようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係、当該行動等の具体的内容、他国の武力の行使の任に当たる者との関係の密接性、協力しようとする相手の活動の現況等の諸般の事情を総合的に勘案して、個々的に判断さるべきものである」云々と国会で答えた部分と今回の法案とが整合性がとれていることの説明の必要性を示している。

 また、大森局長は大森4要件の根拠について、平成9年11月の衆院予算員会で「憲法9条にある」と答えた。大森局長は「憲法9条が武力の行使を禁止しているということから、当然の帰結として、法的評価において武力の行使と評価される行為はやはり9条で禁止されている」とした。

 これは、あのヒゲの隊長が関係した記事でしたが、引用した後、アクセスすると

Forbidden
You don't have permission to access /index.php on this server.

となってしまいました。なんででしょうね。と、後からアクセスできたので一時的なものだったようです。
まあいずれにせよ、戦争法、あの新安保法が通った後も、この大森4原則には逆らえない。”個々的に判断さるべきものである”ということは、事例ごとに変わってくるとも取れる。同じ駆け付け警護であっても、その国、自衛隊が派遣され基地を設営する場所の状況で変わる。
 だからジュバで現在銃撃戦はない、というだけの生半可な判断で、閣議決定などできないのです。

PKO5原則をあらためて
https://kotobank.jp/word/PKO%E4%BA%94%E5%8E%9F%E5%89%87-607958

(1)紛争当事者間で停戦合意が成立していること
(2)当該地域の属する国を含む紛争当事者がPKOおよび日本の参加に同意していること
(3)中立的立場を厳守すること
(4)上記の基本方針のいずれかが満たされない場合には部隊を撤収できること
(5)武器の使用は要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること、

駆け付け警護の根拠条文はといって、これが簡単に出てくるシロモノではない。

国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H04/H04HO079.html

と、この中から探そうとしても”駆け付け警護”なる言葉はない。
やっと見つけた。
http://hiroaki1959.at.webry.info/201608/article_10.html

改正された「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO協力法)では、第三条五のトで「防護を必要とする住民、被災民その他の者の生命、身体及び財産に対する危害の防止及び抑止その他特定の区域の保安のための監視、駐留、巡回、検問及び警護」と言う任務が新たに追加され、これにより所謂「駆け付け警護」ができるようになるとされている。
 ただし、武器の使用については、正当防衛・緊急避難の場合を除き、危害射撃はできない(第二十五条6)。推測だが、駆け付けた陸自部隊は、威嚇射撃程度しかできないと思われる。これでは、危地に陥った住民を「警護」するどころか、駆け付けた隊員の生命が危ない。

とのことです。アベあんたわかってソーリをやってのか?自衛隊員の命、南スーダンの罪もない子供たちの命にかかわる問題を事務方のいい加減な説明だけで決定するんじゃないよ!!
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貴重な発表があったようです。CsMPs で呼称が定着するのか?セシウムボール [原発問題・ホットパーティクル]

9月に開催された日本地球化学会年会の資料が一部公開されました。

http://www.geochem.jp/conf/2016/doc/abst/G11.pdf

いろいろありますが、最初の「原子分解能顕微鏡で解き明かす福島第一原発メルトダウン時の放射性 Cs 含有微粒子形成過程」に注目しました。

発表メンバーが国際的です。九大,筑波大,福島大,東工大,ナント大,スタンフォード大

TEM-EDX の結果より CsMPs は主に O、Si、Fe、Zn、Cs、Sn、K、Rb、Cl、Mn、Pb の元素から構成され、粒子内部ですべての元素がほぼ均一に分布していた。しかし Cs は部分的に不均一に分布していた。また高分解観察の結果から、マトリックスは SiO2で構成され非晶質であったがその内部に多数の結晶性を有するFe-Zn酸化物ナノ粒子がSiO2に溶解せずに取り込まれていることがわかった。また、Fe-Zn 酸化物ナノ粒子には Cs、Sn、Cl が吸着し、U もそれらの粒子に吸着する形で粒子内に存在することが明らかになった。さらに粒子内部には AgxTeyなどの核分裂生成物により構成されるナノ粒子の内包物が同定された。それらの中には CsCl と考えられる粒子が存在し、炉内における Cs の化学形態の同定に成功した。以上の結果から CsMPs が形成される前に Fe-Zn 酸化物および核分裂生成物ナノ粒子が炉内で生成し、溶融燃料とコンクリートが接触した際に生じる SiOガスがそれらを取り込み凝縮することで粒子形成が起こったことが示唆された。
CsMPsは福島第一原発から~230 km離れた東京都まで運ばれ、また福島土壌で検出されたCsMPで U が検出されたことから、CsMP は揮発性、低揮発性の放射性核種を環境中へ放出する重要な媒体になっていると考えられる。

「Fe-Zn 酸化物ナノ粒子には Cs、Sn、Cl が吸着し、U もそれらの粒子に吸着」うーん 中核部分にはウランがあるんですな。でもこれは鉄と亜鉛に引き寄せられたとすると、あれだ、そうです。あれです。ラジウムホットスポットに似たことが瞬時に起きた。ラジウムではなくウランですが、鉄とα線の相性がいいからでしょう。

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11月3日は文化の日のままでいい。 [憲法改悪阻止]

昨日の朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJC14W0VJC1UTFK00J.html

 明治天皇の誕生日である11月3日を「明治の日」にしようと、祝日法改正運動を進める団体が1日、国会内で集会を開いた。明治維新から150年の節目にあたる2018年の実現に向け、超党派での国会議員連盟発足を目指しているが、国会議員の参加は14人で、うち自民党以外は2人にとどまった。

 この日の集会には約140人が参加。明治の日の実現を求める約63万8千筆の署名が自民党の古屋圭司選対委員長に手渡された。安倍晋三首相に近い古屋氏は「かつての『明治節』がGHQ(連合国軍総司令部)の指導で大きく変わることを強いられた。明治の時代こそ大切だったと全ての日本人が振り返る日にしたい」と決意を述べた。

 稲田朋美防衛相も「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と語った。民進党からは鷲尾英一郎衆院議員が参加した。
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やっぱり稲田はいたのね。現行憲法の公布の日としての”文化の日”をいまさら変えるとは言語道断。じゃあ大正天皇の誕生日はどうでもいいのか?

どうせ日本会議の要望でしょう。無視しなさい、といってもこいつは言うこと聞くのでしょうね。
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光武、鈴木論文の結論付けは性急すぎないか? [原発問題・甲状腺がん]

 このところ南スーダンの記事にもかかわらず、甲状腺がんのことが気になってコメントをつけてばかりでしたが、ちょっと関係の深そうな論文が見つかりましたので紹介いたします。

小児甲状腺乳頭癌:充実型/充実濾胞型の病理学的特徴と遺伝子異常
山梨大学医学部人体病理学 近藤 哲夫, 中澤 匡男, 加藤 良平

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjsts/30/4/30_276/_article/-char/ja/
PDFです。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaesjsts/30/4/30_276/_pdf
(URLがおかしいので直接コピペしてください。)
 乳頭癌充実型は充実性構造を呈して増殖する乳頭癌の一亜型で,成人発生の甲状腺癌に比べて小児の甲状腺癌でその頻度が高いことが知られている。特にチェルノブイリ原子力発電事故後に周辺地域で増加した小児甲状腺癌ではこの充実亜型の割合が高いことが報告され,放射線被爆との関連がこれまで論議されてきた。また乳頭癌充実型にはret/PTC3変異が高いことも知られており,遺伝子異常の点からも通常型乳頭癌とは異なる特徴を持っている。福島原子力発電事故よって本邦でも小児甲状腺癌への関心が高まっているが,本稿では乳頭癌充実型/充実濾胞型の病理学的特徴,低分化癌との異同,チェルノブイリ原子力発電事故との関連,本邦における乳頭癌充実型,遺伝子背景について概説する。

さあて これをどうしたもんかと思ってあれこれ検索するといちろうちゃんブログに出てきました。

また、シロウトだましの「汚いやり方」で、(福島の子ども)甲状腺ガン多発をごまかそうとしている???
http://tyobotyobosiminn.cocolog-nifty.com/blog/2014/11/post-3ee8.html

鈴木氏は、去年も長崎大学の光武氏と共著でネイチャーに論文を発表しております。
http://www.natureasia.com/ja-jp/srep/abstracts/71584

福島の若年層の甲状腺がんではBRAFV600E変異が高頻度である:チェルノブイリとは異なる発がんプロファイル

「チェルノブイリ放射線誘発PTCとは全く異なっており、これらのがんが放射線誘発でないことが示唆される。」

 前の年の新聞記事も似たようなものですが、長崎大学の光武 範吏の協力を得て、まあこの方山下のじいさんの手先ですが、日本甲状腺学会七條賞なども受賞しているので権威づけのためにお出まししたのでしょうね。

理解力のない私は、山梨大学のグループの論文を、どうしていちろうちゃんブログで取り上げたのか、いまいち読めていないのですが、おそらく

「通常型だけで比較してみると日本とベラルーシ・ウクライナでRET/PTC1陽性率が33~45%と大きな差がなく,また充実濾胞型におけるRET/PTC3の頻度も33~50%の範囲にある。これはヨード摂取量などの地理的要因,放射線被爆の有無などによって乳頭癌の増殖パターンは変わるとしても,増殖パターンが同じであれば被爆の有無,ヨード摂取量の違いに関わらず同じ遺伝子異常のパターンを持っていると考えることができる。」

 このあたりでしょうかね。RET/PTCでは騙されなかったので、BRAFV600E変異を持ち出したのか?
この点、エピジェネティクスの専門家など交えた議論があっているのか見えてこないのですが、いずれにせよ、簡単に結論が出せるほどの決定打にはなっていないでしょう。
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矢野龍渓の社会主義② [矢野龍渓]

前回の続き、”「新社会」の先駆性と現実性”のところからにいたしましょう。
論文はこちらです。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19930701-0122.pdf?file_id=86904

133ページの左上
新社会7-133-1.png

 この部分は前回紹介した二人の社会思想家、アメリカのベラミーとイギリスのモリスのユートピア小説が日本に持ち込まれ、翻訳されたことに触れています。龍渓の新社会の方が先行するわけですが、当時、米英でベストセラーとなったとも言える二大ユートピア小説が日本でもブームになっていったということは、龍渓が新社会を世に出した狙いが的を得ていたとも言えるのでしょう。
 ベラミーの「顧みれば」に関しては、「百年後之社会」と言う名前れ翻訳されるわけですが、龍渓はその巻頭の文章を依頼されておりますから、翻訳文の前の英文を既に読んでいた可能性もありますね。モリスのユートピアだよりに関しては、龍渓のイギリス留学中(明治17年から2カ年)に原文を読んでいた可能性もあります。

133の左下
新社会8-133-2.png

 この部分で特筆すべきは、労働時間の短縮として8時間労働を言っていたことですね。そして残りの時間を文化、芸術、余暇に割り当てる。ウィリアム・モリスの社会主義的労働観とも共通しているような感じです。 

 以下、蔦木能雄氏は先駆性と現実性についていくつか取り上げていただいているのですが、次の論文の「社会問題講究会と矢野文雄」と重複する部分もありますので、次回、そちらで紹介するといたしましょう。
 前回の終わりで、気になった龍渓の「帝政論」に関連するところを考えてこの「明治期社会主義の一考察 : 矢野文雄と『新社会』」の方は締めくくりといたしましょう。

134の左下
新社会9-134-1.png
134の右上
新社会10-134-2.png

 各種の平和主義文学から、天皇制との両立は受け入れがたい、したがって、少なくとも龍渓が新社会を書こうとした段階では、天皇制にも心変りがあっても不思議でないと私は思ったのですが、どうも、その変節となるべき事実が見当たらない。蔦木氏の二つの論文からも決定的なものは見つかりませんでしたね。「明治」という時代から見て、それは致し方ないと。

 それで、たまたま検索していた次の論文の中に龍渓が帝政、天皇制にこだわったとみられるヒントがありました。

宮井 敏氏
新社会」--明治近代化過程におけるユ-トピア思想の意義 (近代化過程における民族文化-続-)
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005635503/
PDFはこちらから。
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/8398/?lang=0

 これまた引用が難しいので、概略を述べるにとどめておきますが、龍渓がこの新社会のヒントにしたのは、モリスやベラミーのユートピア小説ではなくて、一昔前のものになりますが、有名なトーマス・モアの「ユートピア」にあります。このユートピアでは国王が出てきます。もっともモアが君主制をどうとらえていたかは、これまた研究しないとわからないのですが、宮井氏は、「モアの共産主義的君主制を何等自己矛盾なく借用したという事になるのである。」と述べています。ここらは他の龍渓研究家からは批判が出る可能性はあるのですが、ここは紹介に止めておきます。

 蔦木氏の論文引用箇所に戻りますと、実現の可能性という点では、モリス、ベラミーらのユートピア論を上回り、日本においては当時夢物語に見えても、ヨーロッパやアメリカでは実現していた事例なども小説に取り入れた点は評価されていいことであると言われています。さらに国民の経済的な生存権の保障や社会保険の活用の提起など「当時の社会主義論の中できわめて先駆性の強いものであったことが評価できる。」とも述べています。

 次の論文には龍渓は出てきませんが、今回紹介した米英のユートピア論のベラミーとモリスを主体として社会主義の問題を現代的に捉えたもので、2013年に発表されたものです。反原発、脱原発デモにも触れられていましたので紹介させていただきます。

荒木詳二氏
19世紀末社会主義ユートピアと現代― 国家社会主義 vs 共同体社会主義
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/7380/1/79-98_ARAKI.pdf

荒木詳二氏の経歴です。
http://researchmap.jp/read0169912/

 いろいろ検索の仕方を変えると博士論文の中で龍渓を取り扱ったものにめぐり合いますね。

明治社会思想と矢野龍渓の文学 表世晩氏
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d1/D1002447.pdf

 平成13年ですからそれほど古くない。ざっと目を通しますと、新社会のところもけっこう深く研究いただいてますので大いに参考になります。また機会をみつけて、続編で取り上げさせていただきたいと思います。
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