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矢野龍渓の社会主義③ [矢野龍渓]

間があきましたが、今回はこちらの論文からです。

社会問題講究会と矢野文雄
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19971001-0113.pdf?file_id=87203

こちらは小説の「新社会」から離れ、龍渓が矢野文雄として社会主義に関する行動を起こしたことの論文になります。

社会問題115ー1.png

 社会問題”講”究会という名称で“研究会”でないところに特徴があるのでしょう。
 辞書では 
 物事を深くしらべ,きわめること。{類義語}研究。  
とありますので同じようなものでしょうが、龍渓 矢野文雄は、学究的な研究のみではなく、社会的啓蒙も含めて、社会主義を”極める”ことを目的にしたのではないでしょうか。
 後の部分を読んでいきますと、先に社会問題研究会と言う組織もありましたので、違う名称を使わさるを得なかったのかもしれません。
 上の引用部分にあるように「治安警察法」の導入があり、労働運動や社会主義思想の弾圧は強まったのですが、国民の関心は逆に高まるばかりで、社会主義文献もかなり有名なものが世に出回るようになっていました。

社会問題115-2.png

 日露戦争の開戦前に、矢野文雄は、この講究会を立ち上げるのですが、前に記事にした平和主義の側面から、堺、幸徳らの社会主義者たちとの連携を模索したのではないかと考えられます。引用部分にありますように、自由民権運動の頃とは違って、慎重な動きをしていたと言われています。日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日に開戦ですが、この会が創設されたのが1902年10月です。「新社会」の刊行も同じ年ですので、平和主義と社会主義を車の両輪ととらえていた可能性もあります。
 ただ、矢野文雄が”社会主義”を名乗らず“社会問題”としたのは、不特定多数の大衆性を持つ組織・活動の場としてこの講究会を考えていたようです。 

社会問題118-1.png

 「新社会」刊行の年は、いろいろと急展開をしていったようで、幸徳ら社会主義者たちも実践に向けた動きを見せており、当局の警戒が一段と強まったなっております。
 社会主義協会の方は、実践的といっても表面上は、研究・講演を主体にしており、はっきりと「反戦」かかげて社会主義的行動を起こすのは、平民社が設立されてからだったようです。

社会問題118-2.png

 上の引用部分は、社会問題講究会、矢野文雄と社会主義協会との関係がわかる部分を記述していますが、片山潜が「労働世界」という雑誌に矢野文雄をはっきり社会主義者として認めて紹介している点が特筆すべき点でしょう。1902年の5月に対談の場を持ったとされています。
 片山潜は日本史の教科書に出てきてたかな。とりあえずウィキペディアを。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E6%BD%9C
1859年12月26日(安政6年12月3日) - 1933年(昭和8年)11月5日)は、日本の労働運動家・社会主義者・マルクス主義者・思想家・社会事業家。
となっていますねえ。
1921年(大正10年)、ソビエト連邦に渡り、コミンテルン常任執行委員会幹部となる。国外にあって日本共産党結党の指導を行い、また国際反帝同盟を指導し反戦運動に従事した。
となっていますので、まあ今で言えば、がっちがちのサヨクか。
 そういう意味では、矢野文雄は明らかに「社会主義者」になったと言えるのですが、この会談のあった1902年あたりは
1901年(明治34年)に社会主義研究会を改組した日本で最初の社会主義政党である社会民主党に幸徳秋水らとともに入党した。
という時期でしたので、まだ、初期の段階と言っていいのでしょう。

 一気に飛ばして「3 社会問題講究会と矢野文雄の役割」の部分に移ります。

 時期は講究会設立のちょっと前に遡ります。
社会問題130.png

 欄外の注釈部分までキャプチャをとりましたが、「新社会」の存在が、社会主義を国民が接しやすいようにしたということで、宣伝塔の役割を果たした。注釈の16は、引用部分の1行前についているのですが、社会問題研究会(これは講究会とは別組織で、1898年に設立されています。)が、入門所、まあ平たく言えば小学校の役目をし、社会主義研究会、社会主義協会とランクアップして、矢野にとって「社会主義の学校」の役割を果たしていたと述べています。
 欄外は、矢野文雄自身が果たして社会主義者といえるかどうかの考察部分で、ある面貴重な情報です。清国全権大使を1899年までやっていて、外交官をやっていながら、どちらかといえば反政府的な社会主義者への道を選ぶ。矢野文雄が、社会問題研究会と社会主義研究会に関わった度合い等は、筆者である蔦木氏も「今後の課題」と書いていますので、私にはわからないですが、次の引用部分にあるように、反戦を明確に掲げる平民社の運動が展開されていくことになります。そして平民社との関わりは、はっきりとしてきます。

社会問題131.png
 
 矢野文雄自身は、立場上だったのか、前回の終わりに書いた天皇制へのこだわりからかは、わかりませんが、この平民社設立までの社会主義者たちの流れとは一線を引いて、講究会を立ち上げる行動に出ます。ただ、片山、幸徳らとは交友関係を保っていきます。片山と並ぶ明治期の社会主義者として、幸徳秋水の説明も少し必要ですね。
 例によってウィキペディアです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E5%BE%B3%E7%A7%8B%E6%B0%B4
明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者である。
と出てきますね。
1910年(明治43年)6月、幸徳事件(大逆事件)において逮捕。
このあたりは有名ですね。

”1901年(明治34年)、『廿世紀之怪物帝国主義』を刊行し帝国主義を批判。これは当時、国際的に見ても先進的なものであった。又、この年田中正造が足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴したときの直訴状は、まず秋水が書き、正造が手を加えたものである(正造が直訴状の執筆を依頼した者たちが後難をおそれてしりごみする中、秋水だけが断らずに書いたといわれる)”

ということですので、幸徳は、矢野文雄と接点を持つ時期には、すでにがちがちのサヨクであったようです。
 引用部分に戻りますと、平民社の母体となったのは、社会主義協会で、日露戦争に対しても、非戦の立場を貫きこれが平民社になってからも継承されていきます。
 平民社には加わらなかった矢野文雄ですが、日露戦争の直前は、世論は開戦に向いており、非戦論に対しては若干距離を置くようになります。

「終わりに-社会問題講究会以降の矢野文雄」 の部分に移ります。

社会問題135.png

 「新社会」の後の平和主義小説である「不必要」に触れた部分ですが、”矢野龍渓の平和論-博士論文「明治の平和主義小説」序論より”(http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06)では、新社会より後退したと言われていました。ただ社会主義の側面からは、新社会の延長線上にあるとして、後退はしていないと。
 ロシア革命に対しては、社会主義の点では評価しつつも、ソビエト政権のあり方には批判をして、市場経済の原理を活かしながら社会主義化を進めるなど、ある程度の私有財産を認め、資本主義のよい面は残す形の改革を主張していたようです。ますますヴェブレンに近いような気もしますが。

 「明治の平和主義小説」を書かれた菅原さんのブログにも同様のことが書かれていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/7435230.html

 日本の初期社会主義を代表するとされる矢野龍渓ですが、マルクス・レーニン主義を認めてはいませんでした。ロシア革命から間もない1920年。

 今の儘で進むならば、ソヴエート政府は必ず崩壊するであらう。(略)生産部面が劣悪である結果、幾何もなく生産の不足を来し、同胞をして窮乏に喘がしめ、その極は社会に怨嗟の声を漲らせ、それがためにソヴエート政府は遂に倒されざるを得ない。  『東京日日新聞』一九二〇(大正九)年十月十二日 引用は小栗又一編『龍渓矢野文雄君伝』一九三〇(昭和五)年 による

 ある面、龍渓矢野文雄の預言者的側面も見られますが、実現には70年ほどかかっておるかな。
 菅原氏の言葉を借りれば
”ただ龍渓が読めなかったのは、帝政時代をはるかに上回る「生産の不足」「同胞の窮乏」「社会の怨嗟」にも関わらず、ソビエト政府が崩壊するには70年の歳月を要したという点です。これは龍渓が悪いというより、ソビエト政府が想像を絶するほど非人道的だったのです。 ”
とのことです。あの当時よくこれだけの情報を収集できたものです。元々「訳書読法」とうい本を出していましたので、外国語には堪能でした。ロシア語までやっていたかは調べていませんが、分析能力はかなりなものだったと思われます。
 もしかしてフリーメーソン?まったく根拠がないわけではないのです。
http://www.the-journal.jp/contents/hirano/mb/post_6.html

”矢野は、キリスト教の神怪不可思議な部分を除いて道徳のみを強調するユニテリアンを高く評価した。そして英国のユニテリアン教会に宣教師の派遣を要請したが、成功しなかった。しかし、矢野の運動は当時の日本の教育界や言論界で称賛を受ける。”

この教会がフリーメーソンではないかと副島さんは言ってます。「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」アマゾンで手に入りますが、あまり深追いはせんでおきましょう。

 さて、締めくくりに社会主義の流れを見てみましょう。大内 秀明氏の「ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流」の14ページに社会主義の系統図が出ておりました。日本の代表的な社会主義者も出ております。片山潜は、エンゲルス、レーニン路線、幸徳秋水はプルードンの無政府主義。

社会主義系譜.png

 さて龍渓矢野文雄はどうか?あくまでも「新社会」に込められた思想で、その後の運動によって変化はしているはずですが、蔦木氏の論文の124ページに出ておりました。

社会問題112.png

「矢野氏を以って小ラサレと云へり」とありますので、ラッサールと見られますが、国家社会主義の流れと見るべきか?ベラミーも近い存在ですね。
 この引用部分は、山路愛山という人が主筆を務める「独立評論」という雑誌に載ったものだそうです。

 もう一人明治の社会主義者として重要な人を落としておりましたね。系統図ではモリスの流れをくむ堺利彦がいます。これまたウィキペディアに助けてもらうとすると
堺 利彦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%BA%E5%88%A9%E5%BD%A6
豊前国仲津郡ということで、福沢諭吉の生まれ故郷に近く諭吉に師事した龍渓も親しさを感じ、親交をもつようになったものと思われます。年齢差はけっこうあるのですけどね。

系統図の中でケインズ主義と西欧社会民主主義が点線で結ばれていますが、この中間に位置するのがヴェブレンと思われます。そういう意味では龍渓も同じような位置になるのか?

 いったん終わりますが、統計学の勉強をしながら、ヴェブレンと龍渓のトランスクリティークもどきも並行してやっていきたいと思います。ただ年末年始はあれこれ忙しいので、記事にするのはちょっと先になるかもしれません。
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矢野龍渓の社会主義② [矢野龍渓]

前回の続き、”「新社会」の先駆性と現実性”のところからにいたしましょう。
論文はこちらです。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19930701-0122.pdf?file_id=86904

133ページの左上
新社会7-133-1.png

 この部分は前回紹介した二人の社会思想家、アメリカのベラミーとイギリスのモリスのユートピア小説が日本に持ち込まれ、翻訳されたことに触れています。龍渓の新社会の方が先行するわけですが、当時、米英でベストセラーとなったとも言える二大ユートピア小説が日本でもブームになっていったということは、龍渓が新社会を世に出した狙いが的を得ていたとも言えるのでしょう。
 ベラミーの「顧みれば」に関しては、「百年後之社会」と言う名前れ翻訳されるわけですが、龍渓はその巻頭の文章を依頼されておりますから、翻訳文の前の英文を既に読んでいた可能性もありますね。モリスのユートピアだよりに関しては、龍渓のイギリス留学中(明治17年から2カ年)に原文を読んでいた可能性もあります。

133の左下
新社会8-133-2.png

 この部分で特筆すべきは、労働時間の短縮として8時間労働を言っていたことですね。そして残りの時間を文化、芸術、余暇に割り当てる。ウィリアム・モリスの社会主義的労働観とも共通しているような感じです。 

 以下、蔦木能雄氏は先駆性と現実性についていくつか取り上げていただいているのですが、次の論文の「社会問題講究会と矢野文雄」と重複する部分もありますので、次回、そちらで紹介するといたしましょう。
 前回の終わりで、気になった龍渓の「帝政論」に関連するところを考えてこの「明治期社会主義の一考察 : 矢野文雄と『新社会』」の方は締めくくりといたしましょう。

134の左下
新社会9-134-1.png
134の右上
新社会10-134-2.png

 各種の平和主義文学から、天皇制との両立は受け入れがたい、したがって、少なくとも龍渓が新社会を書こうとした段階では、天皇制にも心変りがあっても不思議でないと私は思ったのですが、どうも、その変節となるべき事実が見当たらない。蔦木氏の二つの論文からも決定的なものは見つかりませんでしたね。「明治」という時代から見て、それは致し方ないと。

 それで、たまたま検索していた次の論文の中に龍渓が帝政、天皇制にこだわったとみられるヒントがありました。

宮井 敏氏
新社会」--明治近代化過程におけるユ-トピア思想の意義 (近代化過程における民族文化-続-)
http://ci.nii.ac.jp/naid/120005635503/
PDFはこちらから。
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/8398/?lang=0

 これまた引用が難しいので、概略を述べるにとどめておきますが、龍渓がこの新社会のヒントにしたのは、モリスやベラミーのユートピア小説ではなくて、一昔前のものになりますが、有名なトーマス・モアの「ユートピア」にあります。このユートピアでは国王が出てきます。もっともモアが君主制をどうとらえていたかは、これまた研究しないとわからないのですが、宮井氏は、「モアの共産主義的君主制を何等自己矛盾なく借用したという事になるのである。」と述べています。ここらは他の龍渓研究家からは批判が出る可能性はあるのですが、ここは紹介に止めておきます。

 蔦木氏の論文引用箇所に戻りますと、実現の可能性という点では、モリス、ベラミーらのユートピア論を上回り、日本においては当時夢物語に見えても、ヨーロッパやアメリカでは実現していた事例なども小説に取り入れた点は評価されていいことであると言われています。さらに国民の経済的な生存権の保障や社会保険の活用の提起など「当時の社会主義論の中できわめて先駆性の強いものであったことが評価できる。」とも述べています。

 次の論文には龍渓は出てきませんが、今回紹介した米英のユートピア論のベラミーとモリスを主体として社会主義の問題を現代的に捉えたもので、2013年に発表されたものです。反原発、脱原発デモにも触れられていましたので紹介させていただきます。

荒木詳二氏
19世紀末社会主義ユートピアと現代― 国家社会主義 vs 共同体社会主義
https://gair.media.gunma-u.ac.jp/dspace/bitstream/10087/7380/1/79-98_ARAKI.pdf

荒木詳二氏の経歴です。
http://researchmap.jp/read0169912/

 いろいろ検索の仕方を変えると博士論文の中で龍渓を取り扱ったものにめぐり合いますね。

明治社会思想と矢野龍渓の文学 表世晩氏
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/thesis/d1/D1002447.pdf

 平成13年ですからそれほど古くない。ざっと目を通しますと、新社会のところもけっこう深く研究いただいてますので大いに参考になります。また機会をみつけて、続編で取り上げさせていただきたいと思います。
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矢野龍渓の社会主義① [矢野龍渓]

矢野龍渓の社会主義に関する論文がありまして、前回の平和論に続いてひとつ書いてみたいと思います。

いずれの論文も既に退官されておりますが、元慶応大学講師の蔦木能雄氏によるものです。

明治期社会主義の一考察 : 矢野文雄と『新社会』
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00234610-19930701-0122
こちらPDFです。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19930701-0122.pdf?file_id=86904

社会問題講究会と矢野文雄
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19971001-0113.pdf?file_id=87203

こちらは以前、「立憲主義にちなんでー交詢社系の憲法私案の改憲手続」で使わせていただきました。
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-07-17

どちらもテキストのコピペができませんので、画像による引用とさせていただきます。

 龍渓の社会主義的な考え方に影響を与えた二人に関するものを予め紹介しておきましょう。
 一人目はエドワード・ベラミーで
http://kousyou.cc/archives/8876
”資本論に次ぐ影響を与えたという十九世紀末のユートピア小説「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」エドワード・ベラミー 著”

 もう一人はウィリアム・モリス
http://u-air.net/workshop/board/teshima2000.htm
”ウィリアム・モリスとクラフトマンシップ”
 こちらにはヴェブレンが随所に出てきますので、龍渓とヴェブレンの共通点を探るにはもってこいの人物です。以前に「ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)」を買っていた関係で、岩波文庫の「ユートピアだより」も買ってしまいました。ただほとんど開くこともなく、この度、吉本隆明の「共同幻想論」通読のあとの布団本として格闘しております。

さて、蔦木能雄氏の著作目録によれば、
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-20100101-0159.pdf?file_id=88330
”矢野文雄と『新社会』”が1993年、”社会問題講究会と矢野文雄”が1997年ですので、まず初めに新社会の方の論文からいかせていただきます。そこそこの分量になりますので、2回か3回に分けて行きましょう。

 それでは、”矢野文雄と『新社会』”の前の方は飛ばして”3.「新社会」の社会主義思想史上の評価”のところから行きましょう。まずは、”(1)「新社会」の社会主義論としての位置”の部分からいくつか引用しましょう。

新社会1-129.png

 上の部分は、「矢野龍渓」(田中浩編『近代日本のジャーナリスト』御茶ノ水書房(1987年)の著者である井田輝敏氏の「新社会」の社会主義論としての評価についての部分です。蔦木氏はかなり丁寧に各研究者の評価を論文にまとめていただいてますが、井田氏のものが1987年と比較的新しい時期のものになるので、取り上げてみました。
 ことに龍渓の「立憲帝政」と社会主義が両立可能なのか?という観点から否定的に評価している点にあるでしょう。ベルリンの壁の崩壊が1989年ですので、社会主義、共産主義と王制、国家元首の存在がまだしっくりとは来ていない時期、井田氏の見解もやむを得ないところか。
 ただ帝政の部分を抜きにすれば、私有財産にメスを入れたこと、世界平和の問題など、元々、龍渓が「新社会」を小説ではなく、経済論文として発表しようと考えていた点は当時としては大胆な切り込みであったといえるでしょう。結果的に小説と言う体裁をとることで、官憲側の社会主義者への弾圧を和らげる意味もあり、啓蒙的な意味からみたら、この「新社会」の存在は意義が大きかったと言えるのではないでしょうか。蔦木氏も好意的に見ています。

130ページと書いているところの左側
新社会2-130-1.png

130ページの右側
新社会3-130-2.png
 以上の二か所は、共通する言葉として”国有化・公有化”の推進が挙げられていますが、自由競争原理の否定など社会主義の理念的なものであり、幸徳秋水、片山潜など当時の代表的社会主義者と共通するものでした。

130ページの右側の下
新社会4-130-3.png
 蔦木氏は、龍渓が「真の目的である人間の自由や幸福を優先する理解に立っていた」から、社会主義そのものを目的化するのではなく、”手段”に過ぎないと考えていたから、後世の社会主義研究家からみたら、初期性ゆえの物足りなさや、時代遅れな社会主義という批判も払拭できるのではないかという趣旨の見解を示しています。

131ページと書いているところの左側
新社会5-131.png
 この部分は、龍渓が、当面の課題は制度の変革であっても、社会主義の目標とするところは、根底に”人間の自由や幸福”が存することを明確に認識していたと、蔦木氏は述べています。

132ページと書いているところの左側
新社会6-132.png
 龍渓の「立憲帝政」との調和に関しては、多くの社会主義研究家は、かなり批判的です。楽観、美化というきつい表現を使われていますが、「帝王は人民本位に施政に取り組む存在」であり、「政治制度そのものが人民の幸福の用具」として、「新社会」全般に渡る基調に存在することから、現在の象徴天皇制に近い状態を理想としていたのではないかと受け止められます。

 ただ、交詢社の憲法草案に見られる天皇制、”皇権”の部分を抜き出すと次のようになります。

第1條 天皇は宰相並に元老院國会院の立法両院に依て國を統治す

第2條 天皇は聖神にして犯すべからざるものとす 政務の責は宰相之に當る

第3條 日本政府の歳出入租税國債及諸般の法律は元老院國会院に於て之を議決し 天皇の批准を得て始めて法律の効あり

第4條 行政の権は天皇に属し 行政官吏をして法律に遵い総て其事務を執行せしむ

第5條 司法の権は天皇に属し 裁判官をして法律に遵い凡て民事刑事の裁判を司らしむ

第6條 天皇は法律を布告し 海陸軍を統率し 外國に対し宣戦講和を為し 条約を結び 官職爵位を授け勲功を賞し 貨幣を鋳造し 罪犯を宥恕し 元老院國会院を開閉し中止し 元老院議員を命じ 国会院を解散するの特権を有す 但し海関税を更改するの条約は予め之を元老院国会院の議に附すべし

第7條 天皇は内閣宰相を置き万機の政を信任すべし

 帝国憲法もかなりこれを参考にしたとも言われていますが、龍渓を中心とした立案者のグループは、イギリス王室をモデルとしていると言われていますので、自由民権運動の頃の龍渓の思想と、日清日露戦争を経てからの思想には、明かな変化があったと考えてもいいのではないでしょうか。

矢野龍渓の平和論-博士論文「明治の平和主義小説」序論より
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06

の論文もしっかり読みこなさないといけませんが、ここらの思想的変遷についても、しっかり見抜いていかないといけないと思っております。

続きは、”「新社会」の先駆性と現実性”のところからにいたしましょう。

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矢野龍渓の平和論-博士論文「明治の平和主義小説」序論より [矢野龍渓]

「明治の平和主義小説」なる論文がみつかりまして、矢野龍渓の名前が随所にでてきます。

菅原健史氏の名古屋大学での博士論文のようです。学位授与年月日:平成24年9月27日となっております。
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/17966/1/k9833.pdf

ただ版組の関係か、PDFのコピーペーストがおかしくなって引用がなかなかしにくいです。部分的に画像を使わせていただきます。最近は、ヴェブレンの平和論にちょっとこだわっていましたら、たまたま検索していてこの龍渓を含む明治の平和主義小説の論文が見つかりました。
 政治小説家矢野龍渓としての代表作の経国美談の中にもカントの永遠平和の一節と共通すると見られる記述もあり、後年、本格的な平和主義小説である「新社会」「不必要」に関しても、菅原氏がこの論文の中で取り上げていただいております。
 矢野龍渓は、絶対平和主義者ではありませんが、”平和優先主義者”に分類され「戦争は改革によって防止・廃止されうる。全ての侵略戦争は禁止され、一部の自衛戦争も禁止されるが、侵略を排除するための軍事的防衛の必要性は受け入れる。」というものです。(5ページ)ヴェブレンもこれに近いような気はします。

 まずは、代表作「経国美談」のカントの永遠平和と類似した記述の部分

3ページ
矢野龍渓永遠平和.png

 龍渓自身が、カントの永遠平和を入手していた記録はないらしいのですが、同じ自由民権家の植木枝盛あたりの文書から国際平和機関の必要性を学んだ可能性があると菅原氏は見ています。ただ龍渓は新聞人、いわばジャーナリストですので、文学者として理想を追うのではなく、カント的な平和連合だけでは永遠平和は実現できない、軍事力の均衡や覇権に依存するしかないという認識だったようです。

 次に「新社会」に関する部分です。

6ページ
龍渓新社会.png

 「新社会」の前に「浮城物語」というのがあって、「経国美談」以上に現実的な考え方がにじみ出ていました。「小国の独立のための戦争は賞賛すべき英雄的行為」と述べています。当時としてはやむを得んかなと思うのですが、こういう考え方が、大東亜共栄圏の発想になってゆくゆくは第二次世界大戦へと繋がっていってしまう。
 何が転機になったかは調べていないのですが、1902年(明治35年)に「新社会」を発刊します。”万国平和協会”が登場し、なかなか画期的で、「労力者」を主体とする平和論を展開しています。ただ完全な社会主義とは言えず、ある程度の現状肯定的な「社会改革案」の要素が強かったと言われています。詳しくはまたの機会に書くと致しましょう。

 「不必要」が龍渓の最後の小説になります。1907(明治40)年の発刊です。平和のための手段という点では、「新社会」より後退したと言われています。

9ページ
龍渓不必要.png

 世界平和実現のための手段を論じる部分ではありませんが、「時善」と「純善」の言葉が印象的ですね。その時代において”善”であることを選ぶのか、時代が変わっても人類が普遍的に”善”であると信じることを選ぶのか。戦争だから人を殺しても、正当防衛だ、緊急避難だで正当化するのか、それともいかなる場合でも人を殺すのは”悪”なのか?
「千年の後ち、列国の間に戦ひが無くなると云ふ時代から見たら、どうだネ、昔は殺すのが賞美されたさうだ、不思議な事だと評される時代も来るであろう、」
 この言葉は、ジャーナリストとして冷静な矢野龍渓の言葉ではなく、理想としては”絶対平和主義者”であろうとする矢野文雄の純粋な気持ちを表していると信じたいですね。
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交詢社憲法私案の天賦人権説による部分 [矢野龍渓]

こちらでアナウンスしました
自民主流派は、天賦人権説まで否定
http://ryukei-rondan.blog.so-net.ne.jp/2015-08-06-1
交詢社憲法私案の天賦人権説に基づく規定をまだ触れておりませんでしたので、今日はちょいと憲法の勉強をしてみます。

次の所から交詢社案をお借りします。

東京書籍のウソを暴く鈴木安蔵-明治の自由民権派を代表する交詢社系の憲法私案
http://touarenmeilv.blog88.fc2.com/blog-entry-21.html

 昔集めた資料を引っ張り出すと、もっと詳しいものがあったのですが、現行憲法と交詢社案の比較だけに留めておきます。完全に一致するものではありませんが、自由民権運動の当時に、ここまでの完成度で練られていたことは驚愕すべきことです。さすが福沢門下生です。


第七章(第六章 民権)

第六十六條 日本國民は國安を妨害するにあらざれば各自所信の宗教を奉ずるを得。(第六十九條 日本國民は國安を妨害するに非ざれば各自所信の教法を奉するの自由を有す)

現行憲法
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


第六十七條 日本國民は法律に背くにあらざれば何れの國に転住するも妨げあることなし

現行憲法
第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。


第六十八條 日本國民は國安を妨害し若くは人を讒誣するにあらざれば自由に其の意見を演説し又は之を出版公布するの権を有す。(第七十條 前半同じ其意見を演説し及び出版公布するの自由を有す)
第六十九條 日本國民は兵器を携えず、國安を擾るの挙動あるにあらずんば、衆人相集会し又は結社同盟するの権を有す。(第七十一條 日本国民は兵器を携すして静穏に集会し又其の疾苦を政府に訴うるの権を有す)

現行憲法
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。


第七十條 日本國民は其の利害疾苦を政府に歎訴するの権を有す。

現行憲法
第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。


第七十一條 日本國民の財産所有の権は何人たりとも之を侵すを得ず。但し公共の用に供する場合に於ては相当の償をなすべし(第七十二條 日本国民の財産所有の権は決して之を侵すを得ず。もし公共の用に供することあるも相当の償をなすべし)

現行憲法
第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。


第七十二條 日本國民は現行犯罪を除くの外法律に遵て裁判官の発したる告状を示すにあらざれば之を拘引し若しくは其の家屋に侵入し其の物件書類を捜索し又は之を携去すべからず。(第七十三條「令状」「持去る」の外同じ)

現行憲法
第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第七十三條 日本國民は拘引の後四十八時間を出ずして裁判官の訊問を受くべし。もし其の時間を経過し裁判官告状を発して拘留せしむるにあらざれば之を釈放すべし。(第七十四條「令状」の外同じ)

第七十四條 日本國民は罪犯未決中保証人を設け相当の保証金を出して保釈を受るを得可し。(第七十五條 前半同じ。但し被告人の遁逃もしくは罪証を隠滅するの恐あるものは此限りにあらず)

以上二か所は刑事訴訟法に定めがありますね。


第七十五條 日本國民は拷問を用いて自ら其の罪を白状せしめらること無かる可し。(第七十六條)

現行憲法
第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。


第七十六條 日本國民は其の族籍爵位を別たず同一の法律に依て其の自由権理の保護を受く可し。(第七十七條)

現行憲法
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2  華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


第七十七條 既往に遡りて施行すべき法律は制定すべからず又法律に提示せざる罰を施し或は法律を枉ぐることある可(べか)らず。(第七十八條 既往に遡りて施行すべき法律は制定すべからず。但し制定の法律に依て罪の軽減もしくは消滅すべきものは其の法律に従うべし)

現行憲法
第三十九条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

ご参考までに現行憲法第3章全文を載せておきます。
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第三章 国民の権利及び義務

第十条  日本国民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
○2  華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
○3  栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2  すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3  公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4  すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
第十六条  何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
○2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
○3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
○2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
○2  何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。
第二十三条  学問の自由は、これを保障する。
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
○2  配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第二十五条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
○2  国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十六条  すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
○2  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
○2  賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
○3  児童は、これを酷使してはならない。
第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
○2  財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
○3  私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。
第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
○2  捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
○2  刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
○3  刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。
○2  強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
○3  何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
第三十九条  何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる。
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 退屈だったかもしれませんが、人権とは闘って勝ち取るもの。押し付け憲法と言われたりもしますが、この3章に関しては、明治時代から、国民が闘って求めてきていたものが、敗戦によって開花したものと考えていいでしょう。そう考えれば、自民党の憲法案は、いかに復古調の物か、再び後進国に戻してしまうわけにはいきません。
 そのためにもアベ政治を一日も早く終わらせていかねばなりません。

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自民主流派は、天賦人権説まで否定 [矢野龍渓]

 安保法案反対コメントが増えすぎたので、ちとまた新記事をあげないとコメントつけるところがなくなってきました。

 衆議院議員の武藤貴也ツイッター問題が世間を騒がせていますが、一見童顔につき、この若さで、この古さという違和感がつきまとうのですが、アベの取り巻きには、かなり似た考え方の者が多く、それらの物が閣僚や党の要職についています。
 7月の初めにやはりツイッターで「天賦人権説」を否定し、問題になった片山さつき氏のことを取り上げてみたいと思います。なぜカテゴリーが矢野龍敬なのかは、のちほど述べます。

 片山氏の考え方に対してあの小林節先生が、的確に批判をされていますので、まずは引用から。

片山さつき氏の天賦人権説否定ツイートに対する小林節慶大名誉教授の批判
http://ameblo.jp/naka2656/entry-12047815748.html

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小林先生の批判は要約するとつぎのとおりです。

『個々の国民が個性を持った存在であり、かつ幸福に生きる権利を持っているという考えは普遍的な考え方だ。』

『そのうえで、人間は一人では生きていけないから、国家というサービス機関を作った。だから人と国家が対立し、国家が人の人格的生存を侵すのは国家の誤作動。そのような場合、人間は革命を起こさなければならない。』

『たしかに天賦人権説は西洋ではじまったものだけど、このように個人の存在理由とか国家の存在理由にかなった一番いい説明だと思う。』

『国家が先に来て、国民が後に来るとなると、国家が人権に対していくらでも条件をつけることができてしまう。だけど国家なんていうものは肉体を持たない架空の約束だから、結局は、政治家を含む公務員が自分の価値観や判断を「国家」の名で押し付けることになる。』

『だから、(片山氏の考え方や、自民党憲法改正草案)を貫いている考え方は、歴史の教訓に逆行する、おバカな発想ですよ。』
(小林節・伊藤真『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす』106頁より)
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 戦前に戻ると言うより、江戸時代の鎖国の頃まで戻ってしまいそうな考え方ですね。
 ただ片山さつきさん 財務官僚から郵政選挙の落下傘候補で国会議員になった小泉チルドレンです。小泉さんにもそこまでの思想的背景はあったのでしょうか?確かに靖国参拝やイラク派遣もやりましたから、アベに近い考え方に見えますが、憲法の基本は押さえていたでしょう。
 原発に関してだけは”転向”だったのか?引退してアメリカのプレッシャーから解放されたからなのか?アベと違って、人を引き付ける力は、段違いなので、小泉チルドレンだからみんなこういう発想になったということはないと見ていいでしょうね。
 ウィキペディアでもこの天賦人権説否定が取り上げられていますね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B1%B1%E3%81%95%E3%81%A4%E3%81%8D#.E5.A4.A9.E8.B3.A6.E4.BA.BA.E6.A8.A9.E8.AA.AC.E3.81.AE.E5.90.A6.E5.AE.9A

 旧大蔵官僚ですが、法的安定性問題の磯崎補佐官も自治省官僚でした。憲法遵守義務のある官僚出身議員に、憲法を無視する、変えようとする考えが強いのはなぜなんだと思ってしまいますが、どうもアベに気に入られようとして考え方を合わせているのか?そこらはなんとも言えませんが、憲法の基本原理まで無視しようという動きが、この安保法制審議の中で強まってきていることに危機感を覚えます。

 さて、なぜこのテーマが矢野龍渓かと申しますと、前に書きましたように交詢社というところで明治時代の自由民権運動の中で憲法私案を作っておりまして、その中心人物が矢野龍渓(文雄)と馬場辰猪です。そして、馬場辰猪の方が、『天賦人権論』を発表しております。

http://chushingura.biz/p_nihonsi/episodo/151_200/182_02.htm

1881(明治14)年4月、交詢社(矢野文雄・馬場辰猪ら)は、「私擬憲法案」を発表しました。
1883(明治16)年1月、馬場辰猪は、『天賦人権論』を発表しました。

 もちろん「私擬憲法案」の中にも、天賦人権論に基づく条文がありまして、これはまた別の機会に紹介していきたいと考えます。

 アベの取り巻きの考え方には、ちょっとついていけません。それこそ”自民党感じ悪いよね”であります。
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立憲主義にちなんでー交詢社系の憲法私案の改憲手続 [矢野龍渓]

まだひとつしか書いていないカテゴリー「矢野龍渓」ですが、この機会にもひとつ書いておきます。

立憲主義といえるかどうかは、ちとややこしいのですが、明治時代の自由民権運動でいろんな憲法案が出ておりまして、福沢諭吉を中心とした交詢社の案に矢野龍渓も深く関わっておりました。
今回少しだけ紹介したいと思い、原文を取り上げていただいてるのが次のブログです。
ブログ主様
「一言:マッカーサー占領軍憲法(日本国憲法)有効論に立脚する護憲と改憲の危険性とを皆の衆に直訴し、法の支配を尊重する平和主義を実現するためにイザから移転して参りました!森羅万象の歴史家です」
というお考えの方で、私とは隔たりがありますが、交詢社案など取り上げているところが少ないので、使わせていただくことにしました。

本当は怖い日本国憲法の話
逆賊の憲法改正案に御用心!憲法の本質を示す憲法改正の手続き
http://go-home-quickly.seesaa.net/article/391738724.html
-------------------------------------------------------------------------
<明治の自由民権運動を代表する交詢社系の憲法私案(皇室の自治を示唆、国民主権なし)の憲法改正の手続き>

明治十四年六月四日郵便報知新聞社説-私考憲法草案(カッコ内は交詢社の私擬憲法案) 第八章 憲法改正〔第七章 憲法改正〕

第七十八條 此憲法は左院右院其議員総数三分の二以上の同意を以て之を改正し皇帝の上裁を仰ぐべし。但し皇権に関するの條は勅許を得たるの後に非ざれば改正の会議を開くを得ず。(第七十九條 「元老院」「國会院」「天皇」以外同じ)

<大日本帝國憲法(皇室の自治を保護、国民主権なし)の憲法改正の手続き>

憲法発布勅語 将来若此の憲法の或る條章を改定するの必要なる時宜を見るに至らば朕及朕が継統の子孫は発議の権を執り之を議会に付し議会は此の憲法に定めたる要件に依り之を議決するの外朕が子孫及臣民は敢えて之が紛更を試みることを得ざるべし。

第七十三條 将来此の憲法の條項を改正するの必要あるときは勅命を以て議案を帝國議会の議に附すべし。此の場合に於て両議院は各々其の総員三分の二以上出席するに非ざれば議事を開くことを得ず。出席議員三分の二以上の多数を得るに非ざれば改正の議決を為すことを得ず。
-------------------------------------------------------------------------
 実際に決まった帝国憲法の改正手続においても、3分の2はあるのですが、交詢社案には但書きがあり、皇権に関する条文は取り扱いを変えている点に特徴があるといえるでしょう。
 時代が時代ですから、現行憲法に近いものにはなりませんが、最高法規としての憲法の存在と言う点では、帝国憲法より民主的と言えるのではないでしょうか。
 おいおいこの交詢社の憲法私案も取り上げていきたいと考えています。

 さて、矢野龍渓、明治の政治小説家として有名ですが、日露戦争の後は、どちらかといえば平和文学に主力を置くようになっていました。ちょっとこれも次ぎのブログからお借りします。こちらのブログ主様とは隔たりがあまりありませんが。

核兵器および通常兵器の廃絶をめざすブログ
矢野龍渓の「不必要」
http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/archive/2011/03/03
-------------------------------------------------------------------------
 前回に引き続き、忘れられた明治の小説家であり平和主義者でもある矢野龍渓(やのりゅうけい)の小説を紹介します。今回のお題は「不必要」(明治40=1907年)。日露戦争終結から二年後のお話です。
 美女にも金にも、地位にも名誉にも興味のない一人の男がいます。そんな彼の唯一の関心事は「世界平和」なのです。
 「僕の言ふ平和とは根本中心の平和であると見て貰はねばならぬ、国内に向つては社会組織の改善だ、国際間に於ては世界大平和の主張だ、此れが僕の願望で、此れが僕の楽みだ」
 …ちなみに、この年の話題作は、女学生の蒲団(ふとん)にはぁはぁする中年男を描いた、田山花袋の「蒲団」でして、時代を先取りしすぎた「不必要」はまったく話題になりませんでしたw。時代に逆行するアンタルキダスは、知られざる明治のマイナー平和主義小説の復権のため、地道な努力を続けていきます。
-------------------------------------------------------------------------
市の図書館にはこの「不必要」の入った全集がありまして、いずれは読んでみたいと思ってますが、貸し出しができないようで、ゆっくり図書館に入り浸れるようにならないと無理かな。
龍渓とヴェブレンが同時代の人間で、共に平和論について書いていますから、比較してみるのもいいかな、と思ってはいますが、当面は原発優先ですね。

こういうものが見つかりました。
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19971001-0113.pdf?file_id=87203

と思ったらコピペができんか。またこの手でいきますか。24ページ
不必要.png
ここらはヴェブレンに近いものを感じますね。

今後のこの画像をあちこちからいただいて使うことにします。
今回はこちら
プラカード「アベ政治を許さない」完成です! (2)
http://plaza.rakuten.co.jp/no23nit/diary/201507130000/
aa8593f03cd336e974f4b4d7c08402ea083505f6_33_2_9_2.jpg
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なんとあの平松元知事がこんなことを [矢野龍渓]

すいません。原発問題しか扱ってきませんでしたが、コメントにちょっとふれついでに、"丸山眞男 矢野龍渓”で検索すると、あの偉大な大分県知事平松守彦さんが、こんなことを書いていたのですねえ。

丸山眞男先生の思い出   平 松 守 彦
http://www.coara.or.jp/hiramatsu/Etckiko/mm.html

引用処理せずに手抜きですが
-----------------------------------------------------------------------------------
昭和六二(1987)年六月、先生は、大分県出身の筑紫哲也さんの案内で、ごく親
しい数人の方々と、国東半島にある三浦梅園旧宅や、中津市の福沢諭吉旧居、日田市の
広瀬淡窓咸宜園などを訪ねるため来県された。

 戦後、復員し、大学時代「東洋政治思想史」の講義を聴き、依頼、先生に私淑する私
が、我がふるさとに知事としてお迎えするめぐり合わせに深い感懐を覚えた。

 折角の機会でもあり、対談をお願いしたところ、地方分権を日本で初めて説いたのは
福沢諭吉であり、『分権論』(明治十年)という著書があることを教えていただいた。
 「大分には諭吉を始め碩学が多い。大きな時代の始まりは、辺境の地から始まる」と
言われ、大分の先人たちの著書を蒐集、顕彰することを私にすすめられた。そして、佐
伯市出身の矢野龍渓(1850―1931)は、明治時代の代表的ジャーナリストであ
り、ベストセラーとなった政治小説「経国美談」の著者でもある、是非、叢書に入れて
もらいたい、私が序文を書く、とまで言われた。

 「矢野龍渓とはそも何者なのか」に始まる序文掲載の本を差し出し、「矢野龍渓の著
作や業績は、大分県民の間では余り知られておらず、私もこの序文で初めて思想の一端
にふれることが出来、大変勉強になりました」と申し上げると、嬉しそうに分厚い本を
少し痩せた両手で高くかざして読まれた。奥様が「良かったですネ」と語りかけると、
「そうだ。本当にいい本が出来た。矢野龍渓は面白いヨ」と笑われた。皓い歯が印象的
だった。途中で疲れたのか奥様が代わりに本を持たれると、「頁をめくってもいいヨ」
と熱心に読み進まれた。

 久しぶりの再会なので、お聞きしたいことが一杯ある。「福沢は脱亜入欧という言葉
を本当に言ったのでしょうか」

 先生「福沢はこんな言葉を使っていない。だけど、同じ意味のことを言っている。そ
れは日本中心の興亜論、アジア観の台頭を恐れ逆説的に言ったものだ。脱亜入欧は福沢
の真意ではない。むしろ誤解されている」
-----------------------------------------------------------------------------------
うーむ なるほどなあ。ニックネームをryukeiにするのは恐れ多い人でありました。

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