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共謀罪に反対する。野党は徹底抗戦して廃案に!! [憲法改悪阻止]

オリンピックのためのテロ対策として共謀罪を導入するため、今日から衆議院で法案審議が始まります。

じつは全然勉強なんぞしてないのですが、基本的に監視タレこみ社会を増長する恐れがあり絶対に反対しなければいけません。

刑法の神様と言われる法学者ベッカリーアは「犯罪と刑罰」の「犯人の首に賞金を賭ける慣わしについて」という章において

「立法者は一方の手で友情と血類のきずなをひきしめながら、もう一方の手ではそのきずなを破った者にはほうびを与えるのだ。」 「一つの犯罪を予防しようとして、新しい百の犯材を生むのだ。」

このあとも大事なことが書いてあるけど、岩波文庫の121ページ、122ページをご覧ください。
たれこみを奨励するの根拠条文はまだ見ていませんが、すでに事前の情報で
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/86145

減免規定には、弁護士らから「密告を奨励する」との批判が出ている。改正案の詳細が明らかになったことで、国会の審議はさらに激しさを増しそうだ。

とあります。この一点だけでも反対しなければならない理由があります。

ここをしっかり読んでいかんといかんかな。
https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/complicity.html

特定秘密保護法や安保関連法の時のようにうまくいくと思うなよ!!
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アベはかなり焦ってきたぞ-偽証で籠池氏を告発するかも [憲法改悪阻止]

アベ周辺は、籠池さんを偽証で告発とかいいだしたですね。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170326-00050004-yom-pol

アッキー追求が激しいので、形勢逆転を狙ってでしょうが

 籠池氏は、安倍首相が2012年12月に政権に返り咲く前の「衆院議員の時期の一瞬」と証言したが、自民党は15年頃まで首相の名を利用したとみている。首相は24日の参院予算委員会で、「私の名前を使ったのは『ほんの一瞬』と証言していたが、調べてみると2年以上は使っていた。大変遺憾だ」と述べた。

まあ枝葉末節のことながら、証言の矛盾をついてくるのでしょう。

告発するには、喚問を行った委員会での「3分の2以上の多数」が必要だ。籠池氏を喚問した衆参両院の予算委員会のうち、衆院予算委は与党だけで3分の2以上を満たしているが、記録が残る1976年以降の12人はすべて全会一致だったという先例がある。このため、「野党が納得できる虚偽証言でなければ、告発は難しい」(自民党中堅)との見方がある。

郷原さん あたりがすぐブログで書いてくれるでしょうが、それだけアベが焦っているということでしょうね。ここは加計でさらに追及を加速した方がいいような気がしますが。

なんにせよ官僚の中の黒幕はこの今井という人物で
https://this.kiji.is/217934661047207417

江田氏は橋本政権で政務担当首相秘書官を務めた経験を持つ。「夫人担当職員が財務省との連絡調整を独断でやることは絶対にあり得ない」と強調した。

各省庁との調整は今井じゃないと無理。

この渡辺弁護士の分析が秀逸です。
https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20170324-00069097/

あのFAX2ページめの予算措置が確実に実現していく。単なる夫人付職員のできることではない。その上司なら可能でしょうけどね。
どうなんだアベ、正直に言えよ!!
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今こそアベを倒すべきーこんなこと言ったら侮辱で証人喚問されるかな? [憲法改悪阻止]

加計問題に集中したかったら、森友問題が急展開。23日に籠池氏の証人喚問があります。
籠池さんも腹をくくったし、偽証ができないならあらいざらい真実を語ってくれるでしょう。
アッキーが総理の代理で100万円を寄付したのが2015年9月5日の土曜日で前後にもあれこれ”記念日”があるから、ここは野党も見逃さずに根掘り葉掘り聞き出していくでしょう。

さて今日3月17日は、加計問題でも大事な質問があります。アベのおともだちでもある塩崎厚生労働大臣に、民進党衆議院のエース級とも言える大西健介さんが、するどい質問を用意しています。
実況するわけにはいけないので、告知のみです。
https://www.facebook.com/kensuke.onishi1/posts/1148363931956077

1. 加計学園による愛媛県今治市での岡山理科大学獣医学部新設について
(1) 塩崎大臣はこの件に関し陳情を受けたことがあるか。
(2) 加計学園関係者にパーティー券を購入してもらったり、政治献金をしてもらったことがあるか。

2. 御影インターナショナルこども園
(1) 2015年9月19日の総理夫人の講演は公務か。
(2) 政府職員は同行したのか(何人)、出張命令は出ていたのか。
(3) 総理夫人及び同行職員の旅費はどこから支出されたのか。
(4) 総理夫人が就任している名誉職等を政府は把握していないのか。

じわじわと外堀を固めて行ってもらいましょう。

水さんがツイキャスしてくれますので、見れる方はよろしく。11時40分あたりからですが、多分youtubeにも後からアップいただけると思います。
http://twitcasting.tv/yzjps

ほとんど侮辱になってないなあ。アッキーに便移植してもらったかな?でもDNAの型が違うから、お母様のをもらわないと無理か?腸内フローラがかなり減ったでしょう。早く辞任してストレス減らすのが一番の対策になるでしょう。
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このバカがこんなことを言っている。東北とりわけ福島の皆さんアベを許すな!! [憲法改悪阻止]

犠牲者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 心静かに6年目の節目を迎えるつもりで、今回原発に触れる記事は書く予定でなかったのですが、こんな新聞記事を見つけ怒り心頭に達しました。
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017031001281&g=eqa
安倍首相の3・11会見打ち切り=震災6年で「節目越えた」

政府は10日、東日本大震災の発生翌年の2012年から3月11日の節目に合わせて開いてきた首相記者会見を打ち切ることを決めた。震災から6年となり、「一定の節目を越えた」(政府関係者)と判断した。安倍晋三首相は11日に政府主催追悼式で式辞を朗読するが、会見は行わない。

6年で復興が出きるわけがないし、福島は何も解決していない。

こんなバカ首相、バカ内閣を早く終わらせないと、被災地の皆さんの気持ちは絶対に収まらないでしょう。怒って下さい!!

このアベ政治を絶対に終わらせましょう!!
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うわ しまった。あまりに怒り狂ったので前の記事の上に上書きしてしまった。またの機会に加計のことは書きます。
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それは2012年2月26日に始まったー錯誤登記の謎を追う [憲法改悪阻止]

 いろいろ展開が早いので、次の郷原さんが書いた記事が古く感じますが、これまた怪しい登記なのでちょっとおっかけて3日のアベ政治の記事にします。

森友学園問題 「錯誤」登記をめぐる謎
https://nobuogohara.wordpress.com/2017/02/27/%E6%A3%AE%E5%8F%8B%E5%AD%A6%E5%9C%92%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%80%E3%80%8C%E9%8C%AF%E8%AA%A4%E3%80%8D%E7%99%BB%E8%A8%98%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E8%AC%8E/

これは元々小林よしのりさんが、連続でネットにあげていたもので、よしのりさんも執念を燃やしてくれています。

森友学園、土地の所有権移転についてもっとしっかり追及するべき
https://www.gosen-dojo.com/index.php?key=jo7ccookx-760#_760

民進党は、土地の所有者移転について、もっと徹底的に追及するべき
だろう。
国が新関空会社に売却した土地だったのに、わざわざ「錯誤」を理由に
国の所有権に戻して、値引きして売却した経緯、
周辺の同じ条件の土地との異常な不公平、
この客観的事実をもっと突き付けるべきだ。

で問題の登記簿(全部事項証明かな。)がこちら。

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 錯誤で抹消した日付けが問題ですが、平成25年1月10日 2013年ですねえ。小林さんも言うようにアベ政権始まってます。

 普通に言えば、政権発足当時にそんなおかしなことやろうと思ってもできないよ。と、ばかにされるでしょうが。しかし、大阪維新 すでに国政政党になってますが、大阪府知事、大阪市長を押さえているのですから、教育行政に絡むことは、まあ役人を従わせる力はすでにあったでしょう。霞が関であっても無視はできない存在になってます。

しかも今回明らかになったのが

2011年9月に籠池氏が大阪府に小学校認可基準の緩和を要望。
2012年1月24日にパブコメ実施、意見なしで認可基準改正。

大阪では森友案件は既に始動してます。しかも籠池は日本会議。
参議院の予算委員会で船山議員が質問したのが次のイベントです。 

開催! 教育基本条例タウンミーティング!!
http://blog.livedoor.jp/akitadog/archives/2012-02.html

 「タウンミーティング終了後は、居酒屋にて登壇者の方々や機構大阪役員のみんなで打ち上げを行い、教育の再生を目指してこれからもがんばって行こうと誓い合いました。」

 これ産経のちょうどあの抹消登記があった直前にアベ政権復活の特集記事があって、この時の居酒屋で、アベは再挑戦を決心したと書いてましたから、非常に重要な居酒屋談義なのです。国会の答弁ではふつうに政治の話をしたとなっていますが、昼間のイベントで延々教育の話をし、その延長での打ち上げですから、日本会議が目指すべき学校像も語ったでしょうし、大阪に珍しい幼稚園があることも知らされたか、すでに知っていた時期でしょう。

この酒の席には籠池はいなかったにせよ、別室で秘書が相手をすることもありえる。「元総理」であったには変わりはないから、いかに下野していたとしても、影響力は段違いで、籠池が日本会議ルートでお願いごとをしてもなんら不思議はない。

そして、元維新の上西議員のツイッター
https://twitter.com/uenishi_sayuri/status/832573261493870593" target="_blank">https://twitter.com/uenishi_sayuri/status/832573261493870593

私が国会議員になった4年前、維新から「塚本幼稚園」を視察してその素晴らしさを広めろと命じられました。行ったら異様だったので〝卑怯〟な私はブログにアップするのをやめました。森友学園問題は松井一郎大阪府知事が認可した責任を取って終わるでしょうね。

これ、錯誤登記のあたりからすでに言われていたのではないですかね。アベより維新の方が森友案件には前のめりになっていた。

現物出資が間違っていたなんてことは普通考えられないと司法書士の方々は言うのだけど、一個可能性があるとすれば

関西国際空港及び大阪国際空港の一体的かつ効率的な設置及び管理に関する法律施行令
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H24/H24SE054.html

附 則

(会社が承継しない権利義務)
第四条  法附則第六条第一項の政令で定める権利及び義務は、次に掲げる権利及び義務とする。
一  国土交通大臣の所管に属する土地、建物、立木竹及び工作物(その土地に定着する物及びその建物に附属する工作物を含む。)のうち国土交通大臣が財務大臣に協議して指定するもの以外のものに関する権利及び義務

ほんとは現物出資する段階で、あの学校用地について、財務省との協議なんてなかったのでしょうが、「国土交通大臣が財務大臣に協議して指定するもの以外のもの」だということがアベ政権になって気がついたので、「錯誤」で元に戻したということにして法務局を納得させたのでしょうね。


ちと時間なくこのくらいでアップしますが、
そろそろ辞めどきなんじゃないの。歴代1位なんて欲をだすからよ。と、アッキーに言われておなかごろごろ。
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森友学園問題は財政法9条違反 [憲法改悪阻止]

いつまでも甲状腺がんの記事にコメントを続けてもいかんので、来月3日のアベ政治の日を待たずに一個上げます。

今日 玉木議員の質問で出た財政法9条です。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO034.html

第九条  国の財産は、法律に基く場合を除く外、これを交換しその他支払手段として使用し、又は適正な対価なくしてこれを譲渡し若しくは貸し付けてはならない。
○2  国の財産は、常に良好の状態においてこれを管理し、その所有の目的に応じて、最も効率的に、これを運用しなければならない。

どうみても今回の土地払下げは異常で、この条文に触れます。会計検査院はばっさりやってもらいたい。まずはそっから蟻の一穴ですね。

それともうひとつ。防衛省と同じで都合が悪くなったら廃棄してで逃げる。

https://twitter.com/noel_hasui/status/834955258191216640

宮本さん、2015年末9月に、埋設ゴミの処理価格を決める会合が持たれていた。議事録の提出を。

佐川さん、記録は捨てた。

何これ、防衛省と同じ構図

電子データはないのか?まああっても削除なんだろうなあ。

この産経の記事も近々削除されるはずなので今のうちに魚拓をとっておきましょう。
http://www.sankei.com/west/news/150108/wst1501080001-n1.html

アッキー感涙.png

このまま逃げられると思うなよ!!
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11月3日は文化の日のままでいい。 [憲法改悪阻止]

昨日の朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASJC14W0VJC1UTFK00J.html

 明治天皇の誕生日である11月3日を「明治の日」にしようと、祝日法改正運動を進める団体が1日、国会内で集会を開いた。明治維新から150年の節目にあたる2018年の実現に向け、超党派での国会議員連盟発足を目指しているが、国会議員の参加は14人で、うち自民党以外は2人にとどまった。

 この日の集会には約140人が参加。明治の日の実現を求める約63万8千筆の署名が自民党の古屋圭司選対委員長に手渡された。安倍晋三首相に近い古屋氏は「かつての『明治節』がGHQ(連合国軍総司令部)の指導で大きく変わることを強いられた。明治の時代こそ大切だったと全ての日本人が振り返る日にしたい」と決意を述べた。

 稲田朋美防衛相も「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」と語った。民進党からは鷲尾英一郎衆院議員が参加した。
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やっぱり稲田はいたのね。現行憲法の公布の日としての”文化の日”をいまさら変えるとは言語道断。じゃあ大正天皇の誕生日はどうでもいいのか?

どうせ日本会議の要望でしょう。無視しなさい、といってもこいつは言うこと聞くのでしょうね。
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今日の天声人語はなかなかいい。 [憲法改悪阻止]

 自民党総裁任期がしゃんしゃんで決まってしまってあきれかえっていたら、朝日の天声人語がなかなかいいことを書いてくれました。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12618114.html?ref=nmail_20161021mo

19世紀のメキシコディアスという大統領がいた。「大統領の再選反対」を掲げながら、当選するや再選禁止の撤廃に邁進(まいしん)する。再選に再選を重ね、35年の長きにわたって実権を手放さなかった
▼ひれ伏す者は庇護(ひご)し、立ち向かう者を容赦なく弾圧するその政治手法は「パンと棍棒(こんぼう)」と呼ばれた。経済成長を達成したものの、世紀をまたぐ圧政に耐えかねて国民が蜂起する。ディアスは亡命、再選禁止も復活した
▼ここまで権力への執着が強いとは思いたくないが、自民党が現行2期6年という党総裁の任期の延長を決めた。3期9年が実現すると安倍晋三首相の在職は通算3500日を超す。党内会合で異論らしい異論は出なかったという
▼日本の首相がほぼ1年刻みで代わり続けたのはつい先年のことである。あの時代がよかったとは決して思わないが、もの申す議員がいない中、権力者の任期があっさり延ばされていく現状には不安を覚える。数の力と引き換えに考える力を失ったか。私たち有権者は決定に口をはさめない
▼歴代で最も長く首相の座にあったのは、長州出身の桂太郎である。3期通算で2886日。だが最後の内閣はわずか2カ月で倒れた。立憲主義を軽んじ、薩長閥を重んじる手法が批判され、大勢の市民が国会を取り囲んだ
▼「同一人がどんな役にも二度と就かないこと」。民主制の要をアリストテレスはそう説いた。権力の座に長くあれば為政者は民意に鈍感になる。古今東西の歴史が教えるところである。

 まさか桂太郎の任期を越えようという気はないだろうな。と思ったけど、アベは歴史に名を残すには政治の中身ではなく日数ぐらいしかないと考えているのでしょう。

 まあとにかく、自民に自浄能力がなくなればそれを許してしまうでしょうが、その前に国民がそれを許さない。投票で実現するしかないのではないかと考えますが、衆議院補選のあるところの有権者の皆さん、一票一揆、一票革命を起こしてみませんか?

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天皇生前退位論と女系天皇問題 [憲法改悪阻止]

 天皇退位論に絡んで、この際女系天皇問題も議論の対象にしようと言う動きも出てきました。
8月27日の朝まで生テレビでもこの議論がされています。ちらっとしか録画を見てないのですが、コバセツ先生は歴史上男系天皇でやってきた。文化財的な意味を持つという発言をしていました。

ふと思い出したら参議院選挙中に竹田恒泰氏との対談の2回目で天皇制について論じておりました。

小林節 x 竹田恒泰 スペシャル対談 その2
https://www.youtube.com/watch?v=qvTYEBSC7aA&list=PLWaVqHE4RjvxVgRhow6a45prW7LcqJwac&index=2

 私は、現皇太子の家系で見ると、女系天皇も止む負えないし、これを皇室典範で認めないのはおかしいと思っておりました。戦前の家督相続でも女性が戸主になるの場合はその家を承継してましたからねえ。
ただこれも戦後憲法が変わると同時に家督相続と言う制度がなくなってしまったのですが。

 男の子がおらんから、男の子のおる二男のところがあと継ぐというのはおかしいという感覚があってたのでしょうね。古いおっさんの考え方かな。

 対談によるとコバセツ先生は竹田さんに対して「君に教わった」と言ってますので、元々は文化財としての天皇制は竹田さんの考えでもあったのですね。

ここにも出てきます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14143260549

旧皇族の竹田恒泰氏は「文化財としての男系天皇」という概念を持ち出し、「世界最古の木造建築である法隆寺コンクリートで建て替える」に似た愚行に走るなと説いている。

 女系問題であーでもない、こーでもないと揉めておいて、生前退位論もこの際先延ばしにしようという考えがアベや日本会議にあるならそれはゆゆしき問題でしょう。生前退位が実現したとして、女系問題が現実の問題として出てくるのは、次の代ですから、まず退位論を優先課題にすればいいわけで、自民党は姑息なやり方をやめて、憲法に手をつけたくてうずうずしておるのだろうが、生前退位論は皇室典範のみで解決する問題なのだから、論理のすり替えはやめるべきです。

またぞろ内閣法制局を引っ張り出して、自分たちに都合のいい解釈を持ち出している。
http://www.news24.jp/articles/2016/08/22/04338719.html

天皇陛下の生前退位をめぐり、内閣法制局などが将来にわたって生前退位を可能にするためには「憲法改正が必要」と指摘している事が判明。憲法第1条で天皇の地位は日本国民の総意に基づくと定めていて、天皇の意思で退位することはこれに抵触するという理由。

集団的自衛権の時と真逆ではないか!!このアベのどアホめが。
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ハンス・ケルゼン、「民主制の擁護」(1932年) [憲法改悪阻止]

ふとん専用本で読んでいましたハンス・ケルゼンの民主主義の本質と価値 他一篇 (岩波文庫) の他一篇にあたるのが、「民主制の擁護」で比較的短いので、タイピングいただいてるページからコピーさせていただきました。
書かれた時期がナチスがワイマール憲法を無力化してきたころで、今の日本に非常に参考になります。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/9399/newpage26.htm

ハンス・ケルゼン、「民主制の擁護」(1932年)


  一

 第一次世界大戦の酷烈な戦時下において、恐怖の現状に耐うべき心の支えを求めて未来に心を託そうとしたとき、よりよき政治的未来に期待をかけようとしたとき、念頭に浮かんだものがまさに民主制の実現であった。大戦が敗北をもって終結した際に、大多数のドイツ人は一致して民主的共和国という政体を選んだ。この確信の記念碑がワイマール憲法である。

 この憲法は、歴史上最も自由な憲法であるとされた。そしてそれは正しい。蓋しそれは世界中で最も民主的な憲法だからである。国民にこれ程多くの権利を与えている憲法は例をみない。その第一条は「全権力は国民に発する」と謳っているが、全内容がこれ程この原則に適合している憲法は他にない。ニーチェは国家を「新たな偶像」「最も冷血な冷血の怪獣」とよび、この国家に「我は国民なり」と叫ばせており、この言葉は他の場合にもあてはまるかも知れないが、この憲法においても嘘ではない。なぜならドイツ国家は実際にドイツ国民になったからである。

 ところが、あのワイマールにおける歴史的憲法制定から僅々一〇年を経たばかりの現在、国民から疎外されることかくの如く甚だしい憲法、多くの国民よりかくまでに冷淡無関心に接せられ、更に多くの国民よりかくまで甚だしき憎悪と侮蔑をもって迎えられている憲法はない。これあたかも、ドイツ人はかつて自らに与えた自由をもはや欲しなくなったかのようだ。

 かつて照りかがやいていた自由の理念の光が消えうせようとしているのはドイツ国民においてのみではない。民主制の理念は色褪せ、この現代の暗き地平に新たな星が昇りはじめた。この星の血腥い光が大衆を照らす時、彼等は跪坐してこれをおろがむ。この星とは、独裁の星である。民主制は、この独裁を旗幟に掲げた二つの勢力の攻撃の前に、二正面作戦を強いられている。即ちいよいよ拡大し、いよいよ広範な労働者層を把握しつつある極左のボルシェヴィズムの、そして極右のファシズム、あるいはドイツでのナチスの。ナチ党はドイツで他の政治組織に例をみない勢いで拡大しており、現在すでにブルジョアジーの大部分を掌握してしまった。この両反民主主義運動の志向する目標は何か。プロレタリア独裁は、この独裁のもたらすべき経済政策・文化政策上の帰結が明瞭であるのに対し、他方のファシズム、少なくともドイツのファシズムに関しては、明瞭なのは、民族主義と社会主義の奇異で矛盾にみちた混淆物たるイデオロギーのみで、そのイデオロギーの背後に樹立さるべき現実の独裁がどのようなものであるかといえば、今の所それは形式にすぎず、その指導者たちでさえその形式をみたすべき内容については確固たる観念を全然もっていないようにみえる。この独裁の形式の苛酷さが唱導されればされる程、それが結局いかなる利益のために行使されるのかはいよいよ不明瞭となる。誰がこの闘争において勝利を占めるか、その勝利は一時的なものか永続的なものかはわからない。ただ一つはっきりしていることは、右翼が勝とうと左翼が勝とうと、勝利の軍旗は民主制の墓所の上に立てられるであろうということである。

 この現実的社会勢力としての政治集団間の闘争に対応して、精神の闘争も展開されている。社会理論の領域、実はこの領域の大部分を占めているのは政治的イデオロギーなのであるが、この領域において、民主制の価値への評価は過去一〇年間に驚くべき急変を示した。民主制に長所を見出そうとする理論家の数はいよいよ先細りとなった。そればかりか民主制の本質を客観的に認識しようとする者の数も一層著しく減少してしまった。今日公法学界・社会学界においては、民主制を侮蔑の言をもって律し去ることがほとんど常識と化し、直接間接の独裁制を新時代の曙光として迎えることがモダンなこととみなされている。この「学問上」の態度の変化は哲学戦線における変遷と手を携えている。即ち今日浅薄なものとして罵られる経験的・批判的合理主義の明晰さを捨てて、深遠なものとされる形而上学の隠微な世界、朦朧たる非合理的なものの崇拝への回帰の運動と。古来かかる特殊な雰囲気の中で諸々の形態の専制制が最も繁茂したのであった。「合理主義から形而上学へ」、これこそ現代の合言葉である。

 それ故にこそまさにこの時点において、諸々の政治的イデオロギーの蒙昧さにとらわれていない少数者が、現在このように誹謗されている民主制の真の本質と価値を反省し、人々に先に立たぬ後悔をさせないために、この擁護のために立ち上がることは、二重の意味で未曾有の緊要事である。もっともこうすることによって民主制の喪失を裂けうる見込みが大いにあるという訳ではないが。-現在の民主主義者は重症患者の診療にあたる医師のようだ。蘇生の見込みは殆どないが、それ故にこそ早急な処置を迫られているのである。-仮に民主主義救済の見込みが全くなくなったとしても、なお民主主義への帰依を表明することは全民主主義者の義務であろう。なぜなら思想への忠誠は時にその実現のチャンス如何に拘らないものであり、また思想に報いんとする意思は時にその実現可能性が葬り去られた後にも、その墓を越えて存在するものだからである。

 左右より提起されている不当な非難に対し民主制を擁護すること、これこそこのような忠誠を示し、この思想に報いる最善の途である。


  二

 「平等原則を説く民主制のもたらしたものは、形式的・政治的平等にすぎず、実質的・社会的平等ではない。それ故それは政治的民主制ではあっても社会的民主制ではない。従ってその国家はブルジャワジーの国家であってプロレタリアの国家ではなく、ブルジョワジーによるプロレタリア搾取の政治形態にすぎない」、社会主義の側からの民主制批判の最も重大なもの、否一般に民主主義批判の中で最も重大と思われるものはこう主張する。これに対して「正しき意味での民主主義の意図するところは平等よりむしろ政治的自律という意味での自由の実現にある。ドイツにおいてはそのような真の民主主義は完全に実現されており、それ以上のものを求めるのは無いものねだりだ」とか、「国家機構の民主化の進行につれて社会政策的諸原則は立法・行政に入り込み、無産階級のためのものと化して行くであろう」と答えるのは的を得ていない。むしろこれまでのところ民主制は基本的にはブルジョワ民主制の域を出でず、この政体の中で資本主義体制は維持され、社会主義は実現されていないことは率直に認めなければならない。だがどうしてそうなのか。それは民主制の責任(ある人々にとっては功績であろうが)なのか。否。社会主義が未だ実現していないことを民主制の責任に帰するのは、経済的窮乏を敗戦でなくワイマール体制の責任とする批判に劣らず近視眼的で皮相である。民主制がブルジョワ資本主義的民主制に留まっている理由は、社会主義を志向するプロレタリアがまだ国民の多数を占めていないところにある。そして多数を占めえない理由は政体如何の問題を超えたものである。しかしプロレタリアが現実に達成したこと、階級としての政治的地位、政治勢力としては少数者であり、かつドイツにおいてはそれが二政党に分かれているにも拘らず、なお国家意思の形成に対して有する強大な発言力、これらのものは、民主制、主としてブルジョワジーによって創出された民主制なしには不可能であったであろう。

 共産党は民主制を誹謗し、プロレタリアのそれへの信頼を失墜させ、彼等の内面を独裁制向きに改造しようとしているが、彼等はその際民主制こそプロレタリアの政治的向上にふさわしい政体だということを忘れているか敢て否認するものかの何れかである。このプロレタリアの向上は、ブルジョワジーが自らのためにのみ民主制をかち取ったのではない。彼等は同時に所謂第四階級に政治発展の可能性を創出し、かくてブルジョワ資本主義の経済体制に敵対する社会主義に実現にとって最も重要な前提を創出したのであった。

 しかし、少なくともこれまでの事態をみる限りでは、民主制によって社会主義プロレタリアの終局的な権力掌握が可能になるとは思われない。マルクス主義的社会主義政党が分裂している理由もまさしくそこにある。共産党と社会民主党が分かれているのも、基本的に後者が民主制を固持しているにのに対し、前者は民主制をもはや社会主義実現に適した政体ではないとして捨ててしまったことによる。マルクスやエンゲルスは、多少の動揺と曖昧さにも拘らず、なお結局プロレタリアは民主制への闘いに立ち上がるべきだと説き、過渡期のプロレタリア支配の国家を民主制の国家と考えていた。彼らがそう考えたことの理由は、所謂窮乏化理論によって、プロレタリア、しかも階級意識と社会主義的心情を有するプロレタリアが必然的に民衆の圧倒的多数を占める筈だと信じていたからである。どうもこれは思い違いであったようだ。その思い違いは、プロレタリアの広汎な層が極貧者と極富者の中間に介在しているという経済構造についての認識不足にもあるが、またプロレタリア化、ないし半プロレタリア化したブルジョワジーの陥る心理的状況に関する認識不足にもある。すなわち彼等はその心の支えを新たな階級意識の矜持に求めず、社会主義イデオロギーでなく、民族社会主義イデオロギーに求めたのである。彼等は経済上不可避のプロレタリア化を、ヒロイズムとロマンティシズムの精神態度によって心理的に補償しようとしているのである。この新たなプロレタリアも民主制に背を向ける。共産主義者は社会主義の実現を欲するが故に反民主主義者となったが、彼等[=新しいプロレタリア=ファシスト]は逆にそれを欲しないために反民主主義者となったのである。彼等の果たしている役割は、現存するブルジョワジーたる大ブルジョワジーの政治的努力の補強である。この大ブルジョワジーもまた、あらゆる阻害状況にも拘らず高潮を続ける社会主義の波に対し資本主義体制を擁護するにあたって、民主制は確乎たる障壁になりそうもないので、民主制を見捨てたのである。

 この民主制からの脱却という傾向の意味するところは、要するに民主制という政体は一党派の決定的勝利、相手党派の撲滅を目指す階級闘争にはふさわしくないことを示しているところにある。蓋し民主制とは社会平和、対立の調整、中間線における相互理解の政体だからである。ドイツ国民の統一を致命的に引き裂く恐るべき階級対立の途、血腥い革命の破局への途を避けこの対立を平和的に解決しうる途がありうるとすれば、それこそ民主制の途にほかならない。しかしこの途は平和及び平和の対価を欲しない人々、即ち妥協を欲しない人々のとらないところである。


  三

 右翼陣営は民主制を何と批判しているのか。そこに見出されるのは、多種多様で矛盾にみちた議論であるが、その最も通俗的な議論の一つは「民主制は腐敗の培養基だ」というにある。ところが実際にはこの弊害は専制制において民主制に劣らず多いのである。ただ専制制においては、国家権力に都合の悪いことは一切隠蔽するという原則が支配しているために、眼にみえないだけのことである。それに対し民主制の特質は公然性の原則であり、腐敗が眼につき易いのである。まさしくあらゆる弊害が白日のもとに曝されるからこそ、その是正が行われることが保障されるのである。この民主制腐敗培養基論に劣らず頻繁に批判として唱えられるのが、無規律、特に軍隊が腰抜けになり、外交が弱腰になるということである。これはまことに民主制の中枢神経に関する批判のようにみえるが、歴史に徴してみると根拠薄弱である。世界大戦において、外交上・軍事上民主主義諸国が示したところをみよ。

 独裁制論者が理論上民主制批判論として繰り返し唱えてきた主要な議論は「民主制の基本原理たる多数決原理は、内容上正当な団体意思の形成を全く保障えない」ということにある。「多数決により創造された秩序は、それが善いものだという保障は全ない。何故なら多数決原理は意思形成の方法にすぎず、その意思によりいかなる内容を定むべきかを示さないからである。それ故多数決ではなく、最善者の支配によるべきである」というのである。この議論はプラトン以来反民主主義論がくりかえし説いてきた定式であるが、よりよき代案を示すことはできない。この定式はその破壊力においては魅力的であるが、積極的には何ものべていない。蓋し最善者が支配すべきだいうのは理の当然である。最善者が支配すべきだとは、社会秩序が正しき最善の内容をもつべきだとの意味であろうが、それに反対する者はどこにもない。問題は「何が正か、正はどこにあるか、誰が最善者か、最善者のみが支配者となり、悪の攻撃に対し支配権を維持することが絶対的に保障されるような方法と何か」にある。反民主主義もまた、社会理論上も社会実践上も決定的なこの問いに対し何の答えも用意していない。彼等は指導者による救済を待望しているのだ。しかし、民主制においては指導者は選挙という白日公然の、コントロール可能な手続きを通じて創出されるが、専制制における指導者の創出は神秘で不明瞭な世界に隠されている。社会的奇蹟信仰が合理的方法に取って代わったのだ。神寵を享け、善を知り欲する指導者の存在は理屈抜きに前提されているのである。これでは組織の社会技術的問題は何ら解決されていず、ただずらされ、イデオロギー的に隠蔽されているにすぎない。しかし現実の独裁制において行われているところによれば、それを決するものは権力であり、最善者とは他者を屈服せしめうる者にほかならない。「最善者のみが支配権を有する」という定式の背後に潜むものはせいぜい無批判的で奇蹟信仰的な権力崇拝に他ならない。

 この最善者支配論に依拠しつつ「すべての問題、あるいは重要問題の決定は専門家に委ねるべきだ」と説かれるのが常である。これとの関連で職能制対民主制という対置が置かれる。最広義における技術的問題が多数決のみによっては解決されえないということは全く正しいが、民主制原理と専門的職能とを本質的対立物と考えることは全く正しくない。第一に、遺憾ながら多くの場合、看過されていることであるが、政治における専門家の地位は第二儀的なものだということを忘れてはならない。第一義的に問題となるのは社会的目的の設定であり、こては専門家の出る幕ではない。目的が定められてはじめて、その達成のための適当な手段の決定が問題となり、専門家の出る幕となるのである。ドイツでは専門家の過大評価が一般的であるが、これ程近視眼的なものはない。政治的理性を捨てて専門的技術的問題にすべてを委ねる態度こそ自治権喪失に至る確実な途であり、これこそいつの時代にも専制制の最も強力なイデオロギーをなすものであった。専門家を専らにもてはやす人々は、専門家間に頻繁に対立が生ずることを忘れている。技術的・自然科学的領域においてさえ対立が生じるのであるから、社会技術の領域においては猶更である。この対立に決着をつけうる者は非専門家、即ち政治家を措いてない。目的の決定、目標の設定、特に究極的社会目標の樹立の如きは専門家的考慮の埒外にあり、職能組織の如きも自ら必要な決定をなす能力をもたない。利害対立や権力問題は妥協か命令かによって民主的にあるいは専制的に解決されうるのみである。職能組織や専門家は決定機関ではなく、助言機関たりうるのみである。従って彼等は議会に対しても独裁者に対しても同様に助言を与えうる。

 確かに仮に「何が社会的正義か、善か、最善か」という問いに対し、万人に直接明証的に解答が示され、従って絶対的・客観的妥当性をもって万人を直接拘束しうるような解答が与えられうるとすれば、民主制は全然成立しえない。不可疑の正当性をもつ基準について投票し多数決に附することに何の意味があろうか。絶対善の恩恵を蒙る者は、その絶対善の権威に対し、有難く無限の服従を捧げる以外に何をなしえようか。しかし一体こういう仕方で社会秩序の最善の内容への問いに答えることが可能であろうか。そもそも人間的認識は絶対的価値に到達しうるものであろうか。人間精神は幾千年来この問いに悩みつづけたが、空しかったではないか。絶対的価値の存在を信ずる者、自己自身乃至他の何人かがこの価値を占有していると考える者、その者のみが民主制を断罪し、自己の意思を万人に強制し、実力をもってしても自己の信念を他者に押しつける権利を唱えうるのである。それに対し人間的認識の到達しうるのは相対的価値のみであることを知る者は、その価値の実現必須の法制を正当化する条件として、万人の合意ではないにせよ(そんなことは無政府状態をもたらすものだから不可能だ)、なお少なくともかかる強制秩序の適用対象をなす人々の過半数の合意を求めざるをえない。これが国家秩序の内容をなす一般意思(volonté générale)とこの秩序に服する諸個人の意思たる全員の意思(volonté de tous)の間の相違を最少にすることによって、自由を最大にしようとする民主制の原則である。

 この自由は民主制以外の政治体制において、特に独裁制においては回復不可能なまでに失われてしまう。それが社会主義的独裁であろうと、民族主義的独裁であろうと。歴史の各頁は、自律という政治的自由が失われるところでは、必然的に精神的自由が消失することを教えている。ここで精神の自由とは、学問の自由、倫理的・芸術的・宗教的信条の自由を意味する。現在反民主制の旗を振っている知識人たちは、自分の乗っている枝を鋸で挽いているのだ。彼等が求めている独裁制が現実のものとなり、彼等がそのもとで生活せざるえなくなったならば、彼等は独裁制を呪い、かつてかくも誹謗した民主制への復帰を希求するであろう。


  四

 最後に考察さるべきは、ボルシェヴィストやファシストでなく、他ならぬ民主主義者によってなされる次のような民主制批判である。

 「民主制はその敵よりの攻撃に対し最も脆弱な政体である。民主制はその最悪の敵さえもその乳房で養わざるをえないという悲劇的宿命を負っている。民主制が自己に忠実であろうとすれば、民主制絶滅運動をも容認し、それに他の政治的立場と同様の発展可能性を保障せざるをえない。かくて民主制は最も民主的な方法で廃棄されるという奇妙な場景に直面する。国民が、最大の邪悪は自己の権利だと信じ込まされて、かつて自らに与えた権利の剥奪を要求するという場面に。この場景を眼にするとき、我々はかのルソーの悲観的な言葉に思いあたるであろう。即ち『このように完全な国家は人間には立派すぎる。神々の国のみが民主的統治を永続させうるであろう』という言葉に。」

 こうなると「その際民主制の理論的擁護を止めるべきか。民主制はもはやそれを欲しない民衆の反抗に抗し、まさしく民主制破壊の意思において結集した多数者に抗しても擁護さるべきなのか」という問いも生じてこよう。こういう問題設定自体が否と答えることと同じである。多数の意思に抗し暴力にさえ訴えて主張される民主主義はもはや民主主義ではない。民衆の支配が民衆の反対に抗して存立しうる筈がないし、そのようなことは試みるべきでもない。民主主義者は身を忌むべき矛盾に身を委ね、民主制救済のために独裁を求めるべきではない。船が沈没してもなおその旗への忠実を守るべきである。自由の理念は破壊不可能なものであり、それは深く沈めば沈むほどやがて一層の情熱をもって再生するであろうという希望のみを胸に抱きつつ、海底に沈み行くのである。

(長尾龍一訳、『ハンス・ケルゼン』、東京大学出版会、UP選書、1974年、所収、pp. 246-255より全文を転載)

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